毎日新聞2018.05.27世論調査によれば、総理を信用できないが70%、信用できるが14%、安倍内閣を支持するが31%、支持しないが48%と云う結果である。一国の総理は信用できないけれど(70%)、その内閣は根強く支持する(31%)という乖離は何を意味するのであろうか。
ロシアを訪問しては秋田犬贈呈式に立会い《2018.05.26 総理の一日》、アメリカを訪問すれば朝鮮半島有事の経費負担を約束させられ《2018.05.24 米国大統領記者会見》、朝鮮半島南北対話が進むなかでカヤの外に置き去りにされた感が深い外交姿勢が支持されたとも考え難い。
2020年東京五輪までのバブルと言われながらも、東京の再開発ラッシュとタワーマンションラッシュはまだ続いている。それが安部総理は信用できないけれど(70%)、安部内閣は支持する(31%)と云うことにつながり、政府・日銀が誘導する円安・物価上昇・株価上昇が即ち自らの利益であると考える人々が三割も存在すると云うことなのであろう。
2020年東京五輪後にバブルが弾けるとしても、それまでは「今が善い」と考えるのであろう。バブルが弾けた後のことなど今はまだ考えてもいないということでもあろう。
《話は変わるのだけれど、内心では繋がっていると考えている。》
梅雨入りを知らされるような雨のなかで、庭のサツキが彩りを増している。丹精していたあるじが居なくなって早や八年になるが、今年も変わらぬ彩りである。
「不動産鑑定士の視点から政策の是非を論じることが必要である。」と前置きしてコンパクトシテイ政策について論じる原稿を用意してからずいぶんになる。離島をはじめとする地方過疎化の助長は、最後は国土の過疎化荒廃を招くものであり、コンパクトシテイ政策だけが成功し国力が維持されるというのは幻想であろう。コンパクトシテイ政策はコンパクトカントリー政策の範疇にあらねば実効を伴わないとすると初稿を用意していた。
東日本大震災の復興政策の根幹について何度も現地を訪れた感想から言えば、震災が発災する前から「過疎化、少子高齢化」が問われていた地域の復興政策は超大型防潮堤などの土木・建築ラッシュでよいのかと、何度も自問自答していた。阪神淡路大震災は大阪に隣接する大都市圏域の被災であり、東北なかでも三陸沿岸地域とは立地条件が基本的に異なっている。
日本において長らく土地は資産と同義だった。だが少子高齢化が進む現在、もはや土地は「価値ある」「頼れる」「守るべき」ものではない。被災地、限界集落から地方都市、そして東京都心まで、「根強い土地神話や持ち家志向」はさまざまな形で日本を停滞させ歪にしている。
中山間地では耕作放棄地が荒れるにまかせられており、耕作地の崩壊や獣害も招いている。過疎地ではじまった空き家の増加は都市部でも増え続けているが、賃貸など有効利用は進まない。何よりも二次三次の流通を前提とする建物や賃貸を前提とする建物が建築されず、狭小劣悪な住宅供給が続いていることである。
野放図に拡大を続けてきた都市は、平成の大合併により中核となる街区も周辺の農山村も共に疲弊させてる。特に北国では増え続ける除雪対策費が自治体財政を圧迫し始めている。福井市然りであり、コンパクトシテイを持て囃された富山市も青森市も同様である。
コンパクトシティとは、都市的土地利用の郊外への拡大を抑制すると同時に中心市街地の活性化が図ろうとするものである。除雪も道路整備も公共施設整備も上下水道整備も全ての都市的機能を近接した効率的な範囲に構築し直そうと云う都市政策である。
郊外から中心部への住み替え誘導がコンパクトシティ化の柱であるが、居住誘導策は「居住、移転の自由」への介入となるものであると同時に、住み慣れた地域から住民なかでも高齢者を切り離そうとするものであり、集落の崩壊を招くものである。
農村の高齢化集落から中心街区への移住誘導も、郊外の過疎高齢化住宅団地から街区集合住宅への住み替え誘導も、機能的効率化のみを目指しており、地域コミニュテーの崩壊には目配りされることがない。
《コンパクトシテイ政策と農村・漁村・山村維持は両立しない。》
ここまで考えてきて、コンパクトシティ政策とは一体何だったのであろうかと考えたときに、それは地域のあるいは地方圏域の自主とか自立とか自律自尊と云うものなどではなく、ただ単に中心街区の再開発だったり複合商業施設建設といった箱物行政に過ぎなかったのでは思うに至った。
そのようなコンパクトシティ政策の現実も、一概には責められないと思うのである。
◎東京直下型地震の襲来がそこそこの確率で予想されながらも、湾岸エリアの高層マンションを30年ローンで購入しようとする人が存在する。
◎独居老親や老々介護両親を中山間地に置き去りにしていても、帰郷することも叶わないどころか、自らが独身非正規雇用に甘んじざるを得ない人々の存在。
◎物質的豊かさや効率的機能的生活を追い続けることの虚しさは、昭和末期にさんざ言われたことなのに、今も昭和目線で過疎地を眺め、都市再開発を追い求めている愚かさ。
かねて安倍内閣、特に安部総理の答弁はデイベート術のみに長けた答弁であり、言換え、すり替え、はぐらかしに終始するだけの答弁だと批判してきたが、とても秀逸な論評が登場した。
「ご飯論法」は安倍政権に共通する感覚では
「朝ごはんは食べたか」→「ご飯は食べてません(パンは食べたけど)」のような、加藤厚労大臣のかわし方
やはり脳梗塞みたいな木に竹つないだ記事になってしまった。脈略が不足というよりも欠けている。でも直さない。安部総理を認めていると云うか許しているのも日本社会なのであり、被災地復興の現状も不動産市場の現状も過疎地が荒廃する現状もどれもこれも日本社会なのである。《この記事 No.2991》
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