伝統、伝承、伝説

横綱日馬富士の暴行《傷害?》事件は引退ということで幕引きが図られようとしているさなかに《2017/11/29》、天皇の退位と皇太子の即位が再来年(2019年)04/30&05/01となることが明らかになった《2017/12/01》。2019年のゴールデンウイークは十連休となるようである。なんの関係もない二つのニュースを聞いていて、ふと日本の伝統について考えが及んだ。

大相撲は日本の”伝統ある国技”だとは、よく言われることである。日本に法令や慣習などで国技と定める競技は存在しない。国技がもし”お家芸”であるとすれば、柔道などはその競技者の数、国際的広がりや五輪での活躍からすれば、よほど国技にふさわしい競技であろう。

国技である由縁が天皇賜杯にあるとすれば、大相撲以外にも賜杯の下賜されている競技は数多くある。柔道、剣道をはじめサッカーや陸上競技などである。国体にも下賜されている。競馬などは1880年に賜杯下賜されている《天皇賞レース》。歴史的には最も古いのである。

国技館で開催されるから国技というものではなかろう。国技館という名称は1909年に当時の日本相撲協会《勧進元》が名付けただけのことである。何よりもいわゆる大相撲は日本相撲協会が開催する相撲興行なのである。プロ野球、プロ蹴球という言い方があるとすれば、プロ相撲なのである。

国技・大相撲なるものを、いたずらに言挙げしているのではない。この旬日ほど、テレビをはじめとするマスコミは、無批判無定見に国技、国技と連呼したのである。刷り込みにも等しい、連日の国技騒動であった。よくよく考えてみれば相撲興行のなかの暴力行為に過ぎないのであり、国技扱いは片腹痛い思いがする。

話題が少しそれるけれど、「モンゴル力士会」なるものが、確かに存在するか否かはともかくとして、それに類するグループが横綱を頂点として存在するのは否めないことであろう。つい数場所前には役力士十名の中で三横綱、一大関、一関脇がモンゴル出身という番付も存在したのである。彼らが巡業中《花相撲》に酒席やゴルフを共にしていれば、土俵の上でなにがしかの忖度が働くのではという懸念は拭いきれないのである。であればこそ、日頃の行動に節度が求められるのであろう。

なにが言いたいのかと云えば、「伝統ある国技」と自称するのであれば、部屋別総当たり制の個人競技というものの本質を問い直して欲しいのである。しかも柔道などとは異なり体重制の無い無差別制格闘技なのである。その上で、大相撲は興行なのであるということの意味も考えてみたいのである。

プロレスと同一視するつもりはないけれど、勝敗が賞金や給金に直接反映するプロスポーツというものの本質も改めて考えてみたいのである。プロスポーツというものは勝負が第一義であろうが、高度な常人には為し得ない技の披露という”見せると同時に魅せる競技”という一面も忘れてはならないであろう。

張り手やカチ上げとは名ばかりのエルボードロップが横行する競技が、果たして国技の名に値するのかと問うのである。同時に、これだけ外国人力士を土俵に迎えておきながら、”品格”と云う曖昧な概念にこだわる横綱昇進条件を墨守していること、年寄り株取得条件にあいも変わらず日本国籍を求めていることなど、競技者の国際化を図りながらルールの国際化には手を着けていない相撲協会の在り方こそ再考すべき時期にあると思えるのである。

《建前論として言えば、相撲協会は公益財団法人である。公益法人としての組織の在り方が根本的に問われているともいえる。興行が最優先という姿勢はあり得ないし、思い込みに陥りがちな伝統や神事を偏重する姿勢も問われるものと云えよう。公益事業を行なっているからと云う逃げ口上は許されない。》

話変わって、天皇退位問題に際して一部では、天皇は宮中祭祀の祭祀者であることが最重要と語られた。また天皇家の宗旨は疑いもなく神道であり、それが伝統であるとよく語られる。しかし明治維新以前の天皇家は仏教とも深く関わっていたし、帰依する皇族も少なくなかったのが歴史的事実である。白川法王、いくつかの門跡寺院、何より聖徳太子という存在もある。天皇家最後の法皇は霊元法皇であり、落飾は1713年のことである。

伝統的に天皇家の宗旨は神道であるというのは、明治の廃仏毀釈以後のことに過ぎない。聖徳太子以降、明治維新までは神仏混淆なのであり、その意味では一般市民の宗教的日常と本質的な差異はないのである。神武以来の万世一系と言われるが、古事記や日本書紀が語り伝える神話の世界は、伝説であり伝承の世界である。天皇家の確かな伝統として位置付けるにはいささか問題が残るだろうし、記紀二書の編纂は当時の為政者《権力者、勝者、体制側》の意向が強く働いた結果としてのものであったろうと容易に推定できるのである。

明治維新以後の天皇家の宗旨は神道であるとしても、天皇家が祀るのは伊勢神宮をはじめとする天津神《天孫降臨によって日本に降り立った側:征服者であるヤマト朝廷 》である。日本には多くの国津神も存在するのである。国津神は国譲りによって支配権を明け渡した、もともと日本に居た側《被征服者》の神々であろう。

天皇譲位に伴い元号も変わるのであるが、最初の元号は「大化:645年」である。天皇家の歴史としても伝承や伝説ではなく、事実に裏打ちされた「歴史的な伝統」からすれば、645年以降の1372年間のうち、明治《1868年》以降の150年間を除く1200年余は聖徳太子の時代《574年出生》まで遡らなくても、神仏習合の歴史なのである。東大寺大仏の造立は聖武天皇の発願によるものであり、743年のことである。

ここでも、なにを述べたいのかと云えば、「伝承や伝説」と「伝統」は区分されるべきであり、一部期間《短い都合の良い期間》の歴史のみを言いたてて「伝統」とするのは如何なものであろうかと云うのである。習俗的あるいは土着的発祥をもつ日本の神々と、伝来後1500年近くを経て日本固有とも云える存在に昇華した仏教は、日本人のなかでは心象的風景として並存しているのであり、それはまさに神仏混淆、神仏習合なのである。

天皇家といえども、その長い歴史的経緯を踏まえた伝統からすれば、神仏混淆なのであり、仏教とのつながりは断ち難いものがあると云えよう。明治維新前後の廃仏毀釈論や神仏分離論はその背景に「統治行為としての便宜:勤皇佐幕」や「寺院財産の没収」などがあったのも否めないことであろう。伝統、伝統と声高に言挙げするのであれば、そのあたりの背景や歴史的経緯も踏まえて論じてもらいたいものだと考えるのである。

《本日の伊吹山》

《色づいたカエデ越しにそそぐ陽射しが暖かい》

《陽だまりではスイセンが咲き始めた》

 

 

 

 

 

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