北紀行§8 津軽美人女将

2012.08.06 07:00 札幌駅発函館行き北斗2号に乗車する。 6日間滞在した北海道を離れる日であり、青函トンネルを通って青森県に行く日である。 昨夜はジンギスカンとラーメンだったから、朝食はキオスクのお茶とパンにて済ませる。
12:21 五稜郭駅にて函館からやってくる特急白鳥26号に乗り換えて、青函トンネルに向かう。 函館と青函トンネルとのあいだは、平成17年5月に「新青森・新函館」間が着工され、平成27年度末までの完成を目指して、随所で工事が進められています。 2016年には東北新幹線が延伸して新函館に上陸する予定だそうです。


特急白鳥は青函トンネルを越えて、12:07青森駅に到着します。 茫猿はここでレンタカーに乗り換えて、下北半島下風呂温泉に向かうのです。
        
(左)五稜郭駅にて函館駅から来る特急白鳥26号を待つ。
(中)白鳥の車内表示、竜飛海底駅の表示。
(右)車内で発行してもらった、JR北海道フリーパスからJR東日本青森駅までの乗り継ぎ券、JR北海道とJR東日本の境界駅は木古内駅である。 依頼したのは青森駅までだったのが、車掌さんは新青森乗り継ぎと勘違いして、新青森駅までの乗車券を発券している。 せっかくだから、一駅の勘違いは糺さずにいただいておく。

   
(左)青森駅前のねぶた会館ワ・ラッセにて、ハネト姿の案内嬢。
(右)同じく、過去のねぶたの展示。
青森駅はねぶた祭に訪れた観光客で混雑していました。駅前の「ねぶたの家・ワ・ラッセ」に立ち寄り、観光案内のパンフレットを入手します。 せっかく、ねぶた祭が開幕しているのだから、市内に展示してあるであろうネブタを車で巡ろうかと考えていたのだが、通りは観光客や観光バスで混雑しているし、道は不案内、しかも道端には各所に見物桟敷が設けられている。 レンタカーで事故ってもつまらないからと、早々に市内を離れることにするのです。

         
(左)大湊線野辺地駅、新幹線開業後は三セク青い森鉄道となった旧東北本線から分岐するJR大湊線の始発駅である。  (中)大湊線金谷沢駅、日中は数往復しか運行されない大湊線の列車を時刻表片手に待って撮影する。 ずいぶんと遅くなった昼食は道の駅・よこはま・菜の花プラザにて、帆立塩ラーメンをいただく。 この時、宿の夕食を考えないでもなかったが、この食事を空腹抑えにとどめておいて良かったと思わされたのは、夕餉の膳に案内された時である。  (右)むつ市おおはたの蓋。

レンタカーは下北半島を陸奥湾沿いに北上し、むつ市大湊よりさらに北上し津軽海峡沿岸、風間浦村下風呂温泉に至るのである。 当夜の宿は下風呂温泉さが旅館、宿についてのは夕刻五時過ぎだった。 長旅も終わりにちかく、久しぶりの運転疲れもあって、一風呂浴びて夕食とするのである。 (下風呂温泉付近の概略地図は、下右である。)
   
(左)さが旅館の津軽美人女将、少し訛る津軽弁が耳に優しい女将さんでした。 とても明るくテンションが高い仕事ぶりは、過疎地の宿を引っ張って行く誇りに満ちていました。 (クリックすると女将の写真は拡大します。)
(中)豪勢な夕食、品数をを数えてみたら、付き出し、刺身盛り合わせ、カサゴ塩焼き、キンキ煮付け、殻付き雲丹、烏賊焙烙焼き、北海松葉かに、ウニ茶碗蒸し、アンコウの肝あえ、そしてアワビ蒸し焼き等々  いずれも御飯と汁を付ければ○○定食として通用するであろう量です。 古稀が近い者にはとても食べきれない量でした。 けれど、大間マグロの刺身も殻付き雲丹もアワビも煮魚も、どれも美味しくいただきました。(料理込み宿泊代はサイトで確認あれ。)

(右)下風呂温泉高架橋、下風呂温泉には鉄道はありませんが、かつて、戦前に軍事上の必要から(津軽海峡は軍事要衝でした)鉄道敷設が計画されたことがあるそうです。 その時に高架橋工事が先行しましたが、線路延伸は敗戦で中止となり、高架橋だけが残されたとのことです。 今、高架橋は修復されて、駅舎を似せた足湯、部分的に敷設された線路がある、見晴らし施設となっています。

下風呂温泉・さが旅館さんは、実のところそんなに期待していませんでした。 恐山を巡るためには青森で一泊する必要があり、どうせなら名の知れた温泉地でなく、その名も下風呂という地名に惹かれて一泊しました。 今風の温泉ホテルやビジネスホテルとはひと味も二味も違う、家族的なもてなし、温泉街とも呼べない鄙びた町並みと漁港の温泉です。 料理の量が多すぎるのには少し閉口しましたが(女将の言によれば、あれでも少なくしたのです。)、でもどれも美味しいし、暖かい料理でした。 風呂も優しい泉質でした。 窓からはイカ釣り舟の漁り火も眺められ、ほっこりする宿というのが茫猿の感想です。

ロンドン五輪・女子サッカー準決勝、なでしこJAPANが勝ったのを確認して眠ったのは、もう朝が近い時間でした。 この朝も天候は時々小雨という様子で、朝陽を眺めることは出来ませんでした。

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