久しぶりに藤沢周平の本を買った。試みに検索をしていて、百余りの新発見の句が搭載された周平句集が刊行されているのを知り購入したのである。他に放哉と山頭火も書名に惹かれて同時に注文したのである。
藤沢周平氏がすでに”小説「一茶」の背景”その他に書いていることから、北多摩の林間荘にて療養している頃から俳句に親しんでいることは知っていたけれど、句集の存在は知らなかった。
周平氏の亡くなったのが1997年1月、その二年後の1999年3月に藤沢周平句集は刊行されているのだが、寡聞にして知らなかった。前述の”小説「一茶」の背景”その他の周平氏の随想から、俳句に親しんだのは若い頃のことであり、その後は俳句から離れ、句集は無いものと思い込んでいたのである。
たまたま「放哉と山頭火:死を生きる」を読んでいて、放哉、山頭火の句集が欲しくなって検索したら、この二書の書名と装丁に惹かれて買い求めたのである。さて藤沢周平はと思いつき、検索したら周平句集にも出会ったのである。
「こころザワつく放哉」(春陽堂)
《 咳をしても一人 》(放哉)
「グッとくる山頭火」(春陽堂)
《 分け入っても分け入っても青い山 》(山頭火)
ほぼ同時代に乞つ食(じき)と酩酊の放浪に生き、寓居にひとり亡くなった放哉《1926年 42歳にて没》と山頭火《1940年 58歳にて没》である。故郷を捨て、家族を捨て、孤独と自己嫌悪を抱えながら酒に淫し、醒めれば切り裂いたような句を吐いた放哉と山頭火である。そんな放哉と山頭火の辞世の句には、悟ったような穏やかさがひろがる。
・春の山のうしろから烟が出だした (放哉)
・もりもり盛りあがる雲へ歩む (山頭火)
藤沢周平没後二十年にして、新たに発見された百余りの俳句が公開される句集である。
志した教職の道を病で閉ざされた青年期、幼い愛娘を残し若妻に先立たれた頃、業界紙を転々とする不遇な三十代、オール讀物新人賞の「溟い海」(周平44歳)から直木賞受賞の「暗殺の年輪」(周平46歳)の頃の読者を引きずり込む暗さに包まれた作品群、そして貧しい市井を描きながらも明るく読者を楽しませる「用心棒日月抄」に至る周平氏五十代。
そんな周平氏の句集の巻末ちかくに掲載される句がある。
「 曇天の 黄菊の光 暮れ残る 」(周平)
藤沢周平と司馬遼太郎を比較して、司馬遼太郎は下級武士を描いて天下国家を書き、藤沢周平が描く下級武士は天下国家を動かさないと言われる。関東軍の無策無謀さを「ノモンハン事変」で描こうとして果たせなかった司馬遼太郎、一茶・北斎・長塚節・清河八郎を描いた藤沢周平。読者の好みは二分されるところであろうが、”坂の上の雲”など読む人により都合よく援用されることの多い司馬遼太郎と、市井に生きる人を描くことに終始した藤沢周平との違いにこだわりたいのである。
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