基地と墓地(2000.10.03)

《2000年10月3日記事のリメイクです。沖縄にそして琉球に深く関心を寄せる端緒となった沖縄訪問が2000年10月のことでした。》
鑑定協会福井シンポジウム参加に続いて、休む間もなく沖縄県士協会と岐阜県士協会の交流会に参加しました。固評業務の話や鑑定業界が抱える課題について意見交換し、同時に沖縄県固有の不動産事情の数々について教えて頂きました。

岐阜県士協会は全国各地の士協会や部会と大小様々な交流の場を持っております。
継続的なものとしては、三重県から岐阜県、滋賀県、福井県を結ぶ中部縦貫四県鑑定協議会があり、概ね毎年幹事県を移動して意見交換や共通する課題についての協議を行っています。 単発的なものとしましては、北は北海道から南は今回の沖縄県に至る全国横断的に各県部会や士協会との交流の場を幾つか持たせて頂いております。

この交流の場は、岐阜会の会員多数が積極的に参加して、先方県を訪問し交流させて頂くと同時に、岐阜会としても懇親を深め、その時々の訪問先地から岐阜を改めて眺める場でもあります。このことにより、自らの置かれた状況を客観的に批判的に内省するという効用をもっていると考えます。

茫猿自身は沖縄は三度目ですが、先二度は石垣島が主であり、仕事が中心でした。今回、本島を中心に沖縄県を訪問させていただいて、改めて感じましたことを、二三ランダムに書き述べてみたいと存じます。それを一言で云えば「基地と墓地」ということになりましょうか。

沖縄二泊三日の最初の朝、地元紙朝刊を読んでいて興味深かったのは、死亡広告でした。茫猿がよく目にする死亡広告は、死亡通知と喪主と葬儀式場案内が主な内容ですが、沖縄は違っていました。

本土同様の死亡広告の記事内容に続いて、喪主から始まり、喪主の嫁、長男、長男嫁、長女、長女婿、次男、次男嫁、次女、次女婿、孫、孫嫁、孫婿、曾孫代表、甥姪代表、自治会長、老人会長と延々とお名前が続くのです。その朝の10件ほどの死亡広告の内、最大記名数は合計60余名連名の死亡広告でした。

若い方(享年16歳)の方の場合は、父、母、兄弟姉妹、父方母方双方の祖父母、叔父叔母、伯父伯母、従兄弟、親戚代表、友人代表、在籍学校長、PTA会長と、やはり多数の連名広告でした。

これは、沖縄というより琉球の風土及び風俗慣習に根ざすものだと教えられました。御承知のように琉球の墓は、本土と異なり大層立派なものです。中国風の屋根を持ち、重厚な扉と墓室を持っています。建設材料は石造或いは鉄筋コンクリート造であり、敷地も30平方メートルを超えるものが多くあります。清明節には墓前に一族が集まり、故人を偲のぶ集まりが催されると伺いました。《亀甲墓

又、この墓地は一族のものであり、個人或いは一家のものではないとも伺いました。この一族意識或いは親類一族一統を大切にする心や習慣が死亡広告にも現れており、死亡広告を一族で出すことにつながっているのでしょう。

基地については多くが語られており、感慨だけを述べます。
那覇軍港から東シナ海沿いに、普天間基地、北谷の基地、嘉手納空軍基地、知花弾薬庫に至る国道58号(返還前は1号線)は、六車線の広いほぼ直線に延びる道路であり、中央分離帯は仮設に近いものしかありません。image169

これは軍事緊急事態に備えて、軍用自動車の通行支障物を置かないこと云うことと、時には緊急着陸滑走路に転用することも考えてのことと教えられました。
又、国道の両側は基地の鉄条網が延々と続いており、交差する道路も信号も疎らです。ですから、自動車は直線道路を高速で走っており横断はなかなか困難です。鉄条網には一定の間隔をおいて、軍用犬が巡回しているからフェンスを越えないようにという注意看板が掲示されています。

知花の弾薬庫は、知らずに見ますと手つかずの自然が溢れており、その天然更新照葉樹林地の美しさに感動します。しかし、その溢れる自然の地下には弾薬庫が隠されているのだと知れば、別の感慨がわいてきます。軍港と空軍基地と弾薬庫を直線的に結ぶフェンスに囲まれた道路はまさに軍用道路であり、沖縄のおかれた立場を雄弁に語っていると感じました。

《2015.09.08追記》沖縄会との懇親と観光を目的としたこの沖縄訪問で、茫猿は畏友A氏とふたり、タクシーをチャーターして基地巡りをしました。嘉手納基地では写真中央下に基地と東シナ海に挟まれて左右《南北》に通じる国道58号線のフェンス添いに車を止め、基地と海を交互に眺めました。主滑走路を離陸し轟音を響かせて飛び立ってB52爆撃機の機体に記された文字がはっきりと見えたことを今も記憶しています。

沖縄は基地の島であると同時に、日本史上、最も新しい戦跡の場所でもあります。そして今も軍事施設との共存を余儀なくさせられています。

 

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