正面から向き合うこと

民主主義の根幹を為すものは多数決論理ではない。多数決論理がすべてを決するのであれば、選挙が終わると同時に、当該任期中の議事は終わったのも同様のことである。民主主義の根幹は少数派と真摯に正面から向き合うことにある。そして手間暇を掛けた議論《話し合い》の末に、少数派の唱える異は残されるとしても、全体として大同に落ち着くところにあると考えている。だから民主主義とは手間隙のかかる七面倒なものなのである。

沖縄の日を前にして、自民党は安全保障関連法案《戦争法案とも云う》を確実に成立させるために、国会を三ヶ月延長することを決めたと云う。多数の威力をもって審議を尽くしたと云うアリバイを口実に関連法案を可決成立させる目論見であろう。

安倍総理は1959年砂川判決を論拠として関連法案は合憲であると主張するのである。 しかしながら、最高裁判決当時において、集団的自衛権などは一言も議論となっていないのであり、砂川判決は駐留米軍が合憲か違憲かが問われた判決なのである。

安全保障関連法案は違憲であると主張する意見に耳を傾けず、ひたすら合憲と確信するとかわすのみの安倍総理。油のために遠くホルムズ海峡まで掃海作戦に出かけましょうと言う安倍総理。労働法を改悪し、戦争法制にひた走る安倍自民党政権の最大の被害者は若者であろうに、寂として声の無い若者たちのことがとても気がかりである。能天気な話題に明け暮れているSNSの状況を垣間見ればとても哀しくなる。

今日は「沖縄慰霊の日」である。
沖縄と正面から向き合おうとしない政府を見ていると、沖縄の人々の胸中を思い哀しくなる。 今や琉球の人々は独立も視野に入れた自治権拡大闘争に舵を切るべきであろう。沖縄振興という美名に飾られた札束で、横っ面を張り倒される屈辱に甘んじるのはもう止めたらよかろう。堂々と日本政府及び日本国へ沖縄県米軍基地迷惑料を要求したらよい。法外な額を要求すればよい。少なくとも国家予算の一割は求めるべきであろう。沖縄戦、米軍占領統治、本土復帰後から今に至る米軍基地の重荷は金銭補償には変えられないだろうけれど、せめて目一杯の詫び料支払いを求めればよい。

福島原発はコントロールされていると誤ったプレゼンをする総理大臣、《為政者や統治機構を守るに過ぎない》特定秘密保護法は国を守ると云うような嘘を言う総理大臣、解釈改憲を強行し集団的自衛権容認の独り勝手な論理を押し通す総理大臣、そんな虚構が見え見えの総理大臣を辞職に追い込むことも出来ない、国会とジャーナリズムとそして国民の不甲斐無さをなんともできない情けなさ。

でも、一隅を照らしつつ、頑張り続けている方もいる。
【檄】 さぁ、全面戦争だ!! 白川勝彦氏:永田町徒然草
対米従属を通じて「戦争ができる国」へ。 内田樹氏:内田樹の研究室

梅雨晴れの今朝、木槿が眼に鮮やかだ。ここにも蟷螂の斧を振りかざして吠えている茫猿がいる。ゴマメの歯ぎしりであるとしても、せめて一声挙げるのだ。真正面から向き合うことが、青臭いのはまだしも、いつの頃からかウザクなり、ダサくなったのだろうか。手間隙のかかる七面倒な政治を決められない政治と揶揄するのは簡単だがとても危険なことである。決められる政治とか速やかな決断力などというものは、誤り易い剣呑な政治であることが往々である。IMG_1115

 

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