これも一つの Client Influence Problem

2017/01/08(日)  昼過ぎから肌寒く雨が降り続いている。今朝は雨模様の曇り空のなかで、地元の左義長祭りが行われたので、《祭典係だから》氏神さんの注連縄と門松を解体して焚き上げに持っていった。左義長に参加するのも数十年ぶりのことである。高さ3〜4m、直径も3mくらいという結構な大きさの左義長だった。見事なものだから写真にするかと思ったが、カメラを取りに戻るのも億劫に思えて写真は無しである。

雨の午後、何するとも無くモニターに向き合ってSNSなどを眺めている。晴れていたとしても、午前中の畑は霜柱で凍てついているし、午後は泥濘んでいて畑仕事はできない。雑木林は落葉して明るくなっているが、落ち葉を集めて堆肥にするほどのこともない。要するに為すことも無く無為に過ごしている松の内明けである。

先号「ゴルフ場・固評判決と鑑定評価 」記事は今も憂鬱な気分が抜けない。その気重さの多くは、地方都市の固定資産評価審査委員会及びその事務局における「不服申し立てなどへの対応姿勢その他」がおおよそ推量できることに由来する。そして、これも一つの「Client Influence Problem」だったのであろうと気鬱なのである。

判決文によれば、現(平成24年:2012年当時)課税評価の基礎とする額は、平成六年の鑑定評価額を基礎として時点修正を重ねて当時に至ったものであり、H6評価書が保存されていないことから、審査委員会は不服申立をうけて新たに不動産鑑定評価を依頼することとしたのであろう。

たぶん審査委員会鑑定評価を受託した鑑定士たちは、当該市の固定資産標準地評価を受託していたのであろうと思われる。その業務遂行中に審査委員会不服申し立てに遭遇し、対応策について相談され不動産鑑定評価の委託も受けたのであろう。昨今の不動産鑑定市場について、茫猿は具体的には何も知らない。しかし、大量業務を発注中の自治体がその受託者にどのような態度で臨むかはおおよその推量ができる。

審査委員会の予算の乏しさ並びに審査期間の短さからすれば、鑑定評価報酬も評価書納付期限も極めて限定的であったろうと推量できるのである。《だからといって、総てが認容されるわけではないが、》鑑定報酬も受託期間も、審査委員会鑑定と裁判所依頼鑑定とでは相当の開きがあったことであろうと思われる。《地方税法433条は委員会は審査申出を受けた日から30日以内に審査の決定をしなければならないと定めている。》

茫猿は審査委員会受託鑑定士を擁護しようと云うのではない。彼等がその後に起きるかもしれない出来事に深い注意を払わなかったことを惜しむのである。すなわち、不服申し立ては不服審査で完結するものではなく、不服申立人は審査委員会の結論になおも不服であれば、さらに訴訟提起できるという手続きに思いを致さなかったことを惜しむのである。

審査委員会事務局《おおくは総務課などにおかれるが常設ではない》と課税業務を所掌する税務課とは、人事交流などを含めて”いわゆる仲間内”なのであり、不服申し立てが訴訟提起にまで至った経験がなければ、あったとしても経験が正しく継承されていなければ、事勿れ主義や予定調和主義が働くであろうことは容易に想像できるのである。

そこに如何なる経緯が存在したかは想像の範疇外である。しかしながら判決が指摘する、多くの民間取引事例を掘り起こすことも可能でありながら官公需事例に偏った事例収集に止まったこと、傾斜方位による格差や宅地化の影響度格差率が最大65%と大きかったことなどが悔やまれるのである。

茫猿は常々、不動産鑑定評価書というものは、委託者の手許に止まるものではないと考えていた。発行者の手許を離れた瞬間から、どのように利用されるのか判ったものではないとも考えていた。だから、常々第三者の眼にさらされる事態を頭の隅においていた。まったく思いもよらぬところから、評価書の写しを提示されて説明を求められた経験が一度ならずあった。 だから依頼者が納得すると云うことだけではなく、第三者の眼も意識していた。

同時に、このことは依頼者にも常々説明していた。即ち、部外秘にするとは云っても、時の経過とともに、写しなどがどのように流布するかしれたものではないと伝えていた。改竄された写しが、遠隔地の金融機関から茫猿の手許に出回ってきたことさえあったのである。それほどに大袈裟なことでなくとも、鑑定評価書の発行を忘れた頃に突然質問がやってくる上級庁や本社の審査もあれば会計監査だってあるし、議会の審議やオンブズマンの質問だってある。事務所に週刊誌記者の取材訪問を受けたこともあった。

H24に審査委員会宛に発行した鑑定評価書が、その後の訴訟提起に際して被告側証拠となり、H28年に至ってゴルフ場雑誌に取り上げられる事態になろうなど、想像もしなかったのではなかろうかと思えばとても残念なのである。

これ以上、多くを語るのは止めにしよう。不動産鑑定評価書というものは、署名押印後に手許を離れたが最後、どのような利用をされるのかしれたものではないということに警鐘を鳴らしたいのである。評価報酬や評価期間の多寡に左右されてはならないのであり、不動産鑑定士たるもの「謝絶に如かず」という姿勢も忘れてはならないと考えるのである。その意味からすれば、官公庁との付き合い方も注意するに如かずなのである。

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《今朝の蠟梅》厳しい寒風が甘い香りを吹き飛ばしている。20170109roubai

 

 

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