石臼と杵

何十年振りかの石臼と杵である。子どもたちが小さい頃に餅つきを考えたこともあったが、当時の茫猿にとって歳末は地価公示で年間最大の繁忙期だったから、常に企画倒れに終わっていた。だから叔父宅に預けてあった臼と杵を見るのは、たぶん六十年振りにちかいことである。

子どもの頃は、歳末になると我が家と叔父叔母の両家合同での餅つきが恒例だった。鏡餅、伸し餅、餡ころ餅、あられ餅《よもぎ入り、豆入りなど》を幾臼も搗いたものだった。 杵持ちは若い叔父たまに父、手返し《臼の脇で声をかけながら餅を返す役》は母が務めることが多かったように記憶する。

幼かった私は、蒸した餅米を臼にあけた後に、杵によるこね廻し役をたまにさせてもらうくらいだった。蒸し米のつまみ食いが旨かったと云う記憶がある。長じて《小学校高学年くらい》からは、杵搗き役もまかせてもらえるようになり、母の手返しで幾臼か搗いたと記憶する。

正月過ぎの小正月の頃には、もう一度餅を搗き、今度は水餅《水を張った瓶に餅を保存する》と、あられ餅が主だった。薄く切って乾燥させたあられ餅は冬の間のお八つであり、学校から帰ってくるとその頃は茶の間に置いてあった炭火鉢であられを焼いて食べたものだった。

我が家では餅を搗かなくなり、従姉弟たちがまだ幼かった叔父の家へ臼と杵が預けられるようになり、それから杵や臼にさわったことはない。その臼と杵が我が家に戻ってきたのである。臼や杵のほこりを払い、何度も水で洗うのである。杵の先が削げてササクレているのもグラインダーできれいにする。20161203kineusu

この臼がいつの頃から我が家にあったのか知らない。やや小ぶりの確か二升臼だと母が言っていた年代物の石臼である。杵はしっかりと包んで、古びてはいたが臼台も今は亡き叔父が大切に保存していてくれた。《叔父の家でも餅を搗かなくなって何十年にもなるという。近在でも餅搗きをおこなう家など今や稀である。》

年末に孫たちが帰省してきたら、賑やかに餅つきを行おうというのである。鏡餅や伸し餅の他に、餡餅、黄な粉餅、オロシ餅などで楽しもうと考えている。鄙びた田舎ぶりを孫たちに味あわせたいと思っているが、楽しんでくれるだろうかと思案するのである。

《 孫たちの はしゃぐ声聞く 臼ときね :茫猿》

今朝、朝陽に映える鄙里の紅葉である。20161203momiji

夕陽に映える雑木林の紅葉、あと数日もすれば池の面を散り葉が被い、冬景色に替わります。そうして今年も暮れ行くと思えば、木洩れ陽さす陽だまりが何ものにも代え難く思えます。20161203yuuhimomiji

《 ゆくとしに 名残りしのばせ 散るかえで :茫猿》

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