越南紀行−8

鉄道好きの茫猿の影響を受けてのことであろうが、マニアというほどのことは無いけれど息子たちも鉄道好きである。今回のファミリーツアーでも、ベトナム南部の大都会ホーチミンから南シナ海リゾート地のニャチャンまで夜行列車を利用した。息子いわく、鉄道マニアの親爺のことを思って旅程に入れたと言うけれど、自分も好きだし娘にも味合わせたいということなのであろう。

『ベトナム夜行寝台列車』
夜行寝台列車に乗車するために、夕刻マジェステイックホテル・サイゴンをレイトチェックアウトして発つのであるが、気づけばホテルの前の通りは夕刻のラッシュアワーで、バイクが列をなし、タクシーをつかまえるのも容易ではないし、定刻までにサイゴン駅へ辿り着けるかどうかも定かではない。 ホテルマンに尋ねると、ラッシュはしばらく続くし、普段なら三十分ほどの距離だけれど今は判らないと云う。1003hotel lassyu

慌てたのは私だけでなく、ツアコンを自認する息子の方が内心もっと慌てたことであろう。彼は走り廻ってタクシーをつかまえ、祖父たちも手伝って皆の大きな荷物と愛娘を車に積み込むのである。時間に余裕を持っていたこともあるし、ホテル前の繁華街を抜ければラッシュも然程のことは無く、一行は予定を少し遅れただけで夜のサイゴン駅に到着するのである。 1003saigon-eki

駅の構内風景。鉄道が主要移動手段ではないベトネムでは、ホーチミンと云えども駅はそれ程には混雑していない。画面右はベトナム・ロッテリアである。画面右手にはベトナム・サークルKが見える。1003kounai

ホームに待っている夜行列車は数両編成かと思っていたら、数えてはいないが二十両近い編成である。編成は我々の乗るコンパートメント4寝台の寝台車だけでなく、六寝台の車両、普通座席車両、貨物車両、動力車両《冷房などの動力供給用》などがある。先頭のデイーゼル機関車を見たかったが、遠いので時間が無く到着してからと諦めた。最後尾は動力供給車両である。1003resya

コンパートメント《個室》は、両側に二段ベッドが設けられており、快適とまではゆかないが、慣れない者でも眠れそうな程度だった。茫猿と若夫婦以外は夜行寝台初体験である。ツアコンの彼がいちばん体験させたかったであろう愛娘は、駅で夕食をとっているうちに眠ってしまったのである。彼女は途中で、ベッドから二度ほど落ちたそうであるが《男性と女性とは車室を別れていた》、目を覚まして泣くことも無く怪我も無く、無事に終着ニャチャン駅に着いたのである。いちばん眠れないであろうと気遣った家人は、孫が落ちたのも知らずに熟睡していたとのことである。ただ、室内の冷房が過剰であり、明け方近くには寒くて眠れなかった。室内に冷房調節スイッチ等は見当たらなかった。1003sindai

列車内の通路。発車してしばらくは行き交った人々も、一時間もすれば絶えたし、車内販売は一度通りかかっただけである。1003tuuro

夜のベトナム農村を走る夜行寝台列車は、途中でハノイへ向かう列車に追い抜かれ、ハノイやニャチャンからホーチミンへ向かう列車と離合しながら、単線路をのんびりと走るのである。たぶん線路が痩せているのであろう、走行音はやや高いが、苦になるほどではない。皆の話を聞いたりして考えてみれば、茫猿が一番眠らなかったようである。トイレと喫煙のためにデッキに立って、車窓から走り去る外の夜景を眺め、夜汽車の風情を楽しんでいたのは茫猿だけだったようである。

都合、五度ほど離合の為に待ち合わせ停車した駅は、どれも灯りの乏しい田舎の寒駅だった。車窓から眺める景色も低い山並みが近いだけで、灯りも少ない。日本なら過疎地路線でも見えるであろう、街灯、コンンビニやガソリンスタンドの照明などが全く見えない。”男はつらいよ”の寅さんが、夜汽車の窓から見える家々の灯りを眺めながら、「あの灯り一つ一つの下には、それぞれの小さな幸せがあるのだろう。」と、つぶやいた雰囲気を味わう灯りも無かったのである。

とある離合駅では、対向列車のデッキの窓に何かを語り合う二人の影が見えた。お国は違っても若い二人の思いは同じことなのであろう。写真は深夜に停車した、どこかの駅である。1003inakaeki

早朝六時前に、列車は終着駅ニャチャンに到着するのである。この旅で茫猿が最大の楽しみとしていた、南シナ海を望む海辺で昼寝三昧のリゾートライフが待っているのである。でもその前に、プラットフォームも無い駅で荷物降ろしに一汗かくのである。《その後はタクシーに乗って、ホテルで早く一汗流したい、一眠りしたいと一行は急ぐので、列車の先頭牽引車両を見ることはできなかった。》1003nyatyan eki

また、ベトナムでタクシーは利用し易いが、信頼できないタクシーもあるという。信頼できるのは緑が目立つマイリン・タクシーと緑と赤が目立つヴィナサン・タクシーだと云う。ニャチャン駅からホテルまで、それら信頼できそうなタクシーをつかまえようと、またまたツアコンの彼は奮闘するのである。彼も乗る一台でホテルまで行ければよいのだが、七人ツアーで荷物も多いから二台が必要であり、彼が乗らない二台目が案じられるのである。だからといって、目ざとく客引きに寄ってくるタクシーは信用できないのである。

彼の努力の甲斐もあって、とにもかくにも一行は、無事にニャチャンのNovotel Hotelに到着したのである。写真は翌々日にニャチャン市内を一人歩いた時に撮った人影少ない真昼のニャチャン駅である。1003nyatyaneki hiru

ニャチャン駅構内の切符売り場である。記載されている表示はすべてベトナム語であり、皆目判らない。20150926eki konai

ベトナムでは鉄道が主な移動手段として利用されていないと書いたが、現在日越共同企業体がホーチミン市内の地下鉄建設で稼働している。地下鉄の工事完成予定は2019年である。写真はグエンフエ通りで見かけたものである。8015subwey

 

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