秋深まる風物詩

ようやくに秋雨前線が消えて秋晴れの日が続くので、雨に打たれたカブラとダイコンを再びの種蒔き、薩摩芋と里芋を掘り上げ、銀杏を洗い上げて陰干しする。生け垣を掃除した後で渋柿を収穫し、半分を干柿に、残りを焼酎で渋抜きする。風に乗って漂ってくる金木犀の香りをききながら納屋で独り黙々と柿の皮を剥きながら考えた。

母が元気だった頃は毎年、今ごろになると柿の皮をむき干柿づくりに精を出していた。私が、あの干柿を口にすることは殆ど無かったと思い出すが、あの干柿は何処へ届けられたのだろうか。孫たちのところか、縁者への届け物になったのだろうか。

父母亡きいま、黙然と皮剥きをしながら、母は何を思いながら干柿づくりに精を出していたのだろうかと考える。父が柿を収穫し母が皮を剥いて干柿づくりをしていた姿を思い出すにつけ、私の亡きあと誰かこの姿を思い出してくれるだろうかと思えば、些か憮然とする。

茅屋のまわりの田では稲刈りが進みつつある。近所の老夫婦がコンバインで田刈りをすれば、見る見るうちにエンジン音とともに黄金色の稲田は灰色の冬田に変わってゆく。稲架《ハサ》も作られないから、風情も何も無い。明日と明後日《土曜日と日曜日》が過ぎれば、稔りの稲穂は何処にも見られなくなってしまうだろう。

秋空と金木犀。《10/18撮影》20161018kinmokusei

皮を剥き青カビ防止に熱湯をくぐらせて軒下に吊るされた渋柿。20161021hoshigaki

今朝の朝焼け《日の出前の5:50頃》20161021asayake

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