母の日は母の命日

五月晴れの朝、陽光に照らされて眩しく光る新緑が、涙が出るほどに美しく思われ撮ってみたのだが、レンズを通せば並みの新緑だ。カメラの性能なのか我が腕のせいかと、暫し腕を組む。

昨日の夕刻に通り過ぎて行った雷雨に洗われて雲ひとつない空である。明日は母の九回目の命日である。矢車草、芍薬、石楠花を摘んで仏壇にお供えした。毎年のごとく母の日は母の命日である。
※ 照る青葉 かげ深くなり 春すぎる(茫猿)

四十代の頃だったろうと記憶する。ダム用地の現地踏査で山深く分け入った時に、水没させてしまうよりはと山採りした石楠花である。案内してもらった山びとには、「直に里に下ろしても根付くのは難しかろう」と言われたけれど、なぜか母が気に入って小さな一株を丹精して大きな株に育ててくれた。母が居なくなって既に九年、牡丹、芍薬と並んで今も大輪の花を咲かせてくれる。
※ 柿若葉 母の慈しみし 石楠花(茫猿)

生前の母のことを考えていて、亡くなる直前のことはあまり思い出せない。九年という歳月が記憶を薄くしてしまったのだろうかと思う。そこでふと気づいたのはホームヘルパーの訪問記録(日報)である。介護が始まった04/27から、亡くなった05/08の15:00までの記録が残してあった。身体介護の具体的項目とヘルパーが観た被介護者の状況が記録されている。

同じく訪問看護も受けていたから、同じ期間の看護記録も残されている。母の最後の11日間を、プロの目を通して母の様子が語られている。母が亡くなってしばらくした後に、全ての記録をファイル保存したものの記録に目を通すことはなかった。改めて読んでみると、これらの記録を通して生前の母が蘇ってくるようである。

例えば、04/28の介護記録 『訪問すると、顔を上げられ、あいさつして下さいました。今日は口腔ケアと足浴をさせて頂くことをホワイトボードでお伝えし、やらせていただきました。爪が伸びているので爪切りをさせてもらい、その後ご本人の了解をえて足にクリームを塗らせてもらいました。』

04/30の看護記録 『体温 36.3度C 脈拍 88回/分 血圧 96/70 mmHg』『JCSI-1 会話良好。 口渇あり、本日はそば茶を摂取したところ、体に合うのか(?)嘔吐、吐き気なし。 眼黄染あり。腹部グー音著明だが排ガスはなし。会話はよくされ、本日は倦怠感はあまりない様子。疼痛なし。仙骨部→フィルム保護で経過中、フィルム上に滲出液なし。 夜間良眠されている。』

「仙骨部のフィルム保護」という記述で、母の床擦れを思い出した。床擦れ防止や緩和のためにモーターベッドやエアーマットを導入したことも思い出した。床擦れの痛みを言うことは無かったように思う。そば茶は長男がスーパーで買い求めてきたもので、飲み物をこれに変えたら気に入ったようだ。

※そば茶について、「母の旅支度(介護日記)」に何か書いていないかと探したら、こんな一節があった。『比較的容態の安定した一日だった。長男が買い求めてきた蕎麦茶が口にあったとみえて、二度三度とお茶を飲む、それもベッドの背を高くして湯飲みから飲んだ。飲んだ後も吐くこともなく、しばらくぶりに茶が喉を通ったようである。 であるというのも、この喫茶は全て長男夫婦が為せることで、私は見ていない。飲めるものが見つかっただけでも嬉しいことである。』

※床ずれについては、市民病院へ検査入院した 2010.04.20 の記録に記述がある。
『 母の肌着を代えてあげたら、年齢の割に豊かだったはずの胸が、影も形も無くなり平べったくなっていた。 床ずれができ始めているし、痩せて骨が当たるせいか、肌着の着替えも痛がる。痰が切れないのか、ゼーゼーと荒い息をして苦しがるが、背中をさすってやる以外に何もできない。』

05/08の看護記録 10:00 『体温 34.4度C 脈拍 80回/分 血圧 78/ー mmHg』『JCSⅡ-10〜20 発語なし、訪問前に胆汁の嘔吐 多量にあり。 訪問時にも緑色胆汁嘔吐あり。 苦痛表情あり。 四肢冷感、チアノーゼ(軽度)あり 』
(この日の20:20頃他界する)

2019.05.09 追記
母の日も過ぎゆきたが、床の間の障子を開け放ちて風を入れ母を偲んでいる。正信偈読経の際に薫く松栄堂の香水線香を注文したあとで、「鄙からの発信」・”母の日”記事を検索して読んでいる。結婚したての頃に母と妻の実家の母に『伊と忠の草履』を贈ったが、何やら行き違いがあって気まずくなり、その後は類似のことは行わなかったことなどをほろ苦く思い出している。この草履は亡くなるまで下駄箱にあった。皮草履面に足の指痕が残るまで大事に使ってくれていたと記憶する。

母亡き後に、毎年巡りきたる母の命日と母の日の記事を読み返せば、胸に迫る思いがある。一月は母の遺品のセーターに、二月は自身の歳重ねに、三月は漂う梅香に、四月は母と見た鄙桜に、五月は命日と母の日に、その都度母を思い出すのである。

指先を紅く染めて平戸ツツジの花ガラを摘んでおれば、「そんなに綺麗にしたところで、誰という賓客が来るわけでなし」というおのれの声が聞こえてくる。誰かに見せようとて花ガラを摘んでいるのではない。美しく花を咲かせてくれた平戸ツツジにお礼の気持ちを込めて、花ガラを摘んでいるのである。雨に打たれてへばり付いている花ガラは興無きものであり、病気を誘うものでもあろうから、取り除いてやればツツジも喜んでいるだろうと思う。それに父母とくに母が丹精した庭であるからには、できる限り美しく保っていられれば、それも親孝行なのだろうと思っている。

 

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