090410薄墨櫻

昨日は薄墨櫻を再訪してきました。 淡い桜色の花が散り際には薄墨色に転じているという、朝陽に映えている櫻に会いたかったのです。早朝に陋宅を出て、対向車のない道をまっしぐらに長良川沿いに、そして根尾川沿いに北上したのです。 我ながら桜に淫しているのではと思われますが、折しも縁者の体調不良を報されたばかりで、”明日ありと おもうこの桜 あらめやも”の心境でもございます。


朝陽のなか、薄墨色をまとっている櫻(090410、06:52)。 
04/04、七、八分咲の櫻と較べれば。 
陋宅を出るとき、濃尾平野に昇る朝陽(090410、05:30)。

途中で見かけた朝焼け桜(090410、05:50)。

うすずみ桜を堪能したあとは、地価調査の担当地点や事例調査地点を巡ってから(時間を潰してから)、うすずみ温泉に入り朝湯を楽しみ、日当の”山びこ”で営業時間前なのを無理をお願いして、湯上がりのビールと山菜天ぷらなどをいただきました。それもこれも酒を嗜まない同行ドライバーあればこそと感謝しています。 それからは、折角だからと西国三十三番納めの”谷汲山華厳寺“に参拝しました。

本尊ご開帳の前立て柱では、柱の側面に記されていたこの言葉がとても好きになりました。  『一切の功徳を具え(そなえ) 慈眼をもって衆生を視る』とでも読むのでしょうか、和顔施や慈眼施など無財七施にも通じる言葉なのでしょう。

谷汲山の長い参道の桜は落花さかんでした。 好い機会を設けて一番札所那智山青岸渡寺から三十三ヵ寺巡りも悪くないなと思うことです。 一般車輌進入禁止の参道には赤白に塗られたシャトルバスが走っていました。 谷汲山は紅葉でも有名です。参道には多くのカエデも植えられていて、ちょうど若葉芽吹きの頃でした。 思わず噴き出しそうになったなったのは、とあるカエデの下でとある観光客が(アクセントからして関西方面)、「この樹はもう葉桜やん、実も付けている。」、「そうやなあ、ほんまや」と言っていた時のことです。 既に都会ではカエデとサクラの区別も付かなくなっているのかと驚きました。

参道を走るシャトルバスは、旧名鉄谷汲線に運行されていた丸窓の電車を模したものです。谷汲線は車のなかからは何度も見ましたが、ついぞ乗車することはありませんでした。 いつか、いつかと思いながら、ついぞ果たすことができなかったことを今にして思えば、まだ”明日ある”と思えた若さなのだと思います。

もう電車が走ることのない、少し先で切れた線路やヒトケのない旧駅構内が、明日ありと思うあだし心を教えてくれます。

揖斐川町谷汲(旧谷汲村)の蓋です。意匠はゴルフ場開発や里山の荒廃で絶滅が心配されている”ぎふ蝶”です。

そして、今朝(090411)の鄙桜です。鄙桜はすでに葉桜ですが、まだこれから咲き始める桜が画面左手奥に見えます。

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090410薄墨櫻 への1件のフィードバック

  1. 寺村 建一郎 のコメント:

    薄墨桜の所以ががよくわかりました。
    私は桜の咲いていない薄墨桜しかみたことがありません。
    近いうち早起きして行きたいものです。

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