事業レビュー・地価公示Ⅰ

現役を引退してからもう二年を越えたというに、旅先でもノートPCを起動してe.Mailチェックをしていたのに、今月に入ってからは『鄙からの発信』の更新にも気が乗らず、三日ほどPCを起動していなかった。 昨日の夕方、先号記事「恐山」をアップするために起動し、FB、Twitterそしてe.Mailチェックをしたら、鑑定士協会連合会からメールマガジンが届いていた。 着信時刻を見ると「Thu, 14 Jun 2012 18:08:45 」である。 翌日の同時中継を前日夕刻にメルマガ広報するというのは、如何なものですかね。 国交省サイトによれば、『行政事業レビュー「公開プロセス」の実施について(平成24年5月28日報道発表資料)』とある。

「◆行政事業レビューに「地価公示」が取り上げられます」と題するメルマガである。
行政事業レビュー(各府省において事業の実態を十分に把握・点検し、その結果を今後の事業執行や予算要求等に反映する取組)で 地価公示が取り上げられます。各分野の有識者が地価公示についてどのように考えているのか、どのようなことが期待されているのかを知る貴重な機会なので、是非ともご視聴いただきたいと存じます。 行政事業レビューの「公開プロセス」の開催日・時間は平成24年6月15日(金)午後5時から5時50分までで、インターネット中継にて傍聴ができます。   《行政事業レビュー・公開プロセス

残念なことに、e.Mailを開いた時刻は18:30、既に同時ネット中継は終わっていた。 それでも、このサイトをチェックしたら再放送が行われている。 早速に見たのではあるが、放映延べ時間を確認したら《7:16:00》とある。 地価公示関連はこの日最後の事業レビューであるから、タイムバーを右方向へスライドして《6:09:08》位から視聴を開始すれば「地価公示レビュー」を観ることができる。 ほぼ一時間余のレビューのあいだに、外部有識者(仕分け人)から様々な指摘が為されたが、主なもの(印象に残った指摘)をランダムに記述してみる。

a. 地価公示法第2条が示すところの、「都市計画区域その他の土地取引が相当程度見込まれるものとして国土交通省令で定める区域」という公示地選定基準からすれば、マンション敷地や大規模オフィス敷地が少ないのは如何なものか。
《説明者:マンション敷地等は増やす予定》

b.地価公示の役割が取引指標であるならば、(一定規模以上の)取引価格の開示の方が制度インフラとしても有効なのではないか。

c.地価公示価格は取引の指標であるというが、市場では収益ベースで取引価格を検討するのが一般的であり、地価公示価格は税評価の指標(規準)、公共事業用地取得の指標(規準)に過ぎないのではないか。

d.アンケート調査の結果、1/4の取引当事者が取引に際して地価公示価格を参考としているというが、3/4は参考としていないと云えるのではないか。数値を読みとる方向が違っているのではないか。(この件に関して、説明者より興味深い数値が開示された)
アンケート総数3,000名、有効回答数1,700名、内取引当事者数680名である。 この数字をどのように理解するかは立場によって異なるであろうが、仕分け人はこう述べる。 3,000名にアンケート調査した結果、170名(約6%)が地価公示等を参考としたと回答する。 有効回答を分母とすれば170/1700(10%)が参考とする率である。

e. 3.11被災地で地価公示は役にたったというが、優良住宅地では被災前の水準に比較して三倍に上昇しているところもある、そのような地域では公示価格は有効な指標となっていない。 《説明者:復旧復興事業の事業用地取得の指標になっている。》

f.地価公示価格に取引指標としての役割以外に、課税規準や公共事業用地取得規準などの役割を負わせることは、公示価格の政策目標を拡散し焦点を曖昧にするのではないか。

g.地価公示分科会に外部の第三者が加わっていない現状は、鑑定士や鑑定協会が地価公示を全て廻しているやに見える。 鑑定協会のHPに公開している事業報告によれば、「非公共投資関係の経費が10%以上削減される中、地価公示報酬単価及び公示地点数ともに前年数値を確保することができました。」とある。 このような鑑定協会の認識《業益確保》自体が問題であろう。

h.地価公示と地価調査を統合し、地価公示の2名評価も検討すべきであろう。
《説明者:2名評価は法律事項である。》

『総括』
仕分け人が一致した取りまとめ結果は「抜本的改善」であった。
付けられたコメントは、「他の土地評価制度との関係を整理した上で、標準地の地点数の絞り込みを行い、より効率的に事業を執行すべき。」と記述されている。

この事業レビューの国交省説明資料は「地価公示(PDF)」である。 国交省が検討している地価公示評価書開示の方向性、マンション敷地等標準地選定方法の改善などが述べられている。
鑑定士協会連合会としても、国交省にお任せきりにして、評価報酬や地点数の推移にばかり注目する業益的姿勢から脱却して、地価公示制度の社会的存在意義並びに、公的評価全般(地価公示、地価調査、相続税路線価標準地評価、固定資産税土地評価)についてその位置付けなどを真摯に検討する時機に至っているのであろう。 少なくとも、外部有識者《仕分け人》から指摘された事項について、「鑑定協会は斯くの如く思料する」くらいの積極性を望みたい。

《蛇足ですが》 財務省及び総務省について「行政事業レビュー:公開プロセス対象事業」を検索してみたが、この時点で鑑定評価と直接的に関連するであろうレビュー公開プロセスは開示されていない。 しかし、水面下では「公的評価全般について重複を懸念する。」類(たぐい)の指摘が少なからず存在すると聞こえてくる。 地価公示レビューにおいても「他の土地評価制度との関係を整理した上で」と書き込まれているのである。

最も注意しておきたいのは、各省庁の全所管事業が 「行政事業レビュー:公開プロセス対象事業」となっているわけでもないようである。 公開プロセスの対象になっていないから、現状は維持され、安心だともゆかない。 もう一点は対象事業を公開プロセスの俎上に上げた所管庁の意図するところである。 所管庁自体が現状に問題有り《問題多し》と考えているからこそ、「行政事業レビュー:公開プロセス対象事業」に上げたのであり、外圧利用のカイゼンあるいはカイゼン(カイアク)エクスキューズに利用されるという、「敵は本能寺」的な理解は深読みに過ぎるだろうかということである。

《追記:06.16 07:00》  ようやくに梅雨らしい雨の朝である。雨降りや梅雨空を嫌う人は多いし、TVなどでも「生憎の雨模様」などと梅雨空を目の敵にするけれど、この春の干天続きは各地のダムで貯水量が低下し、取水制限間近になっていたわけであり、畑にとっても影響は大きかったのである。 「晴れが続けば生活用水にも事欠きかねない。」という、当たり前の想像力すら欠けたコメントを連発するTVなどは、物事の一面、それも視野狭窄的一面しか見ることの出来なくなった現代文明人のひ弱さを見る思いがする。《文明人とは皮肉を込めた比喩であり、文化的素養を欠いた物質経済人を指しているつもりである。》

雨は紫陽花の花を蘇らせている。《丹精がしのばれる隣家のアジサイである、陋屋のアジサイはまだ数日を要しそうだ。》鄙の陋屋は若葉のグラデーションから、青葉の輝きに移っている。梅雨が深くなれば緑陰が色濃くなることであろう。 陋屋前の水路も五月雨を集めて水嵩を増している。

 

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事業レビュー・地価公示Ⅰ への4件のフィードバック

  1. 丸山 のコメント:

    ありがとうございました。
    いつもながら、先見の明ですね。
    襟を正して、仕事したいと思います。

    • Nobuo Morishima のコメント:

      丸山様 コメント有り難う。
      先見の明などではございません。
      ウオッチング、トライ、アクションです。
      そして、センサー、センス、スピリットでしょうか。(-_-;)

  2. X のコメント:

     本質的な弱点は、取引市場を唯一絶対の御旗にするところにあります。取引市場が御旗であれば、早晩、地価公示はおろか、地価調査課すら国の機関としては不要になります。土地市場課も規模は大幅に縮小できるでしょう。まるごと民間に委託すればいい話です。
     バブルの時に国民はこんな高い地価では暮らせていけないと規制を求め、国も積極的に地価のあり方について議論しましたが、それ以降は喉元過ぎればなんとやらです。全て市場にお伺いを立てるのが絶対となってしまっています。バブルのときも今も地価といわれる現象はまったく同じ不安定性をもっているにも関わらず、国民はその不安定性を真剣に議論してきたでしょうか? 我が身に降りかかるにも関わらず。
     また金融や株価との類似性をいうひともいますが、金融や株価は私的な資産の現象です。ワンクリックで海外の通貨は買えますし、不動産も海外リート等で買えますが、同じ土俵とロジックで考えていいのか。
     市場を崇めるなら、全国土すべてを対象にして不動産の先物市場を作っていただきたい。主要都市圏だけでもいいです。とても面白いものがみれるでしょう。残念ながらそういうことなのかもしれません。

    • Nobuo Morishima のコメント:

      取引市場偏重論すなわち「Sein:あるがままの姿」論偏重は、鑑定評価を誤らせてきたと茫猿も考えています。
      鑑定評価にとってSeinは等閑にしてはならないものであるが、同時にSollen すなわち「あるべき姿」の追求も欠くべからざるモノと考えます。
      その意味では鑑定評価並びに不動産鑑定士は社会の木鐸たらんとする使命感を常に忘れないでいたいと考えます。
      貴兄のご指摘は、貨幣市場における文明論的位置付けだけでよいのかという指摘に置き換えることができるのではと考えます。
      茫猿は不動産を考える時には文明論的切り口だけであってはならず、文化論的考察が不可欠であると考えています。

      そのような観点から、鑑定評価の社会的使命観とか不動産に対処する哲学を持たない、持とうとしない不動産鑑定士は鑑定屋の名にも値しない、ただの評価屋であると考えています。鑑定士こそは「リベラル・アーツ」が求められる存在で有るとも考えています。

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