嫌みは先刻承知の上で

嫌みな、まこと嫌みな問い掛けであることは先刻承知の上で発信します。
行政事業レビュー・地価公示公開プロセスにて手厳しい指摘を受けましたH22事業報告(地価調査委員会報告)ですが、H23事業報告案も同様というか、ほぼ同じ内容の事業報告案が総会に提出されています。
「第28回総会書類:H23年度事業報告案の17頁(7)平成25年地価公示についての項です。」
台風直撃のなか総会に出席し雨風に吹かれて帰宅された、現執行部の皆様、新理事の皆様、新代議員の皆様、まことにご苦労様でした。 皆様は執行部が提案する事業報告案に、如何に対応されたのか伺います。

様々な皆様の対応が考えられます。
a.外部有識者の批判は的外れなものと認識し、無視する。
b.然るべき対応策の有無などについて質問を求めたが、事前通告の無い質問は却下された。
c.然るべき修正動議案を提出したが、前例がないと却下された。
d.何を言っても無駄なことと、糠に釘、暖簾に腕押しだろうと、端から傍観した。
いずれの立場をとられたのでしょうか。

この問い掛けをFaceBookにて発言しようかと考えましたが、SNS・FBとはいえ、フォローコメントは難しかろうと考えましたから、敢えてFBなどで照会するのは止めました。 しかし、たとえ的外れな批判であると考えても、一つ一つに誠実に応えてゆくことから、社会の信頼は増してゆくのだと思いますし、自らの姿勢を糺してゆくことにもなると考えます。 また、批判を放置すれば、鑑定協会は批判を認めたと見なされてしまいます。 ましてや、何の対応も無しに(無作為、不作為に)、批判を受けた前年報告と同様の報告を承認し、いずれウエブ開示するのであれば、社会はどのように鑑定士協会連合会を見るのでしょうか。

ところで、総会を欠席した森島は何なのか?という問い掛けもあろうかと思いますが、小生の立場は、次のようなものです。
1.五月理事会で迂闊にも、地調委員会報告を見逃してしまい、承認に組みしました。
弁解をするとすれば、 限られた時間のなかで、新スキーム改善問題(継続審議となった付帯決議案、REA-NETの有効活用など)に忙殺されており、事業報告案全文を読むゆとりが有りませんでした。 見逃したことを反省していますと同時に、報告案を読み込んだとしても、斯様な批判を招く報告案であると予見できたかどうか、自信は全くありません。

2.定例総会には旧理事として陪席が認められるものであり、発言権も議決権もありません。つまり、六月となっては、残念ながら何の役割も果たせない存在に過ぎません。
既に六月当初に欠席を事務局宛通告済みでしたものの、『鄙からの発信』主宰者としては、交通費並びに宿泊費の負担があるにしても、取材者として陪席し見届けるべきだったと反省しています。でも、台風襲来のなか、ただそれだけのために、一泊二日の上京をするのも、あまりにも物好きに思えて腰が引けました。

ひじょうに俗な言い方をすれば、協会執行部が頼りにする地価調査課並びに地価公示室(レビューシート作成責任者は地価公示室長)の方々に、総会後にお会いした時に(総会後の懇親会に招待されているはずです。)、対応の遅さ拙さ(鉄面皮さ)について、嫌みな苦言を呈されるのではなかろうかと懸念しています。(多分、方々は世慣れたジェントルマンでしょうから、敢えて気まずい挨拶などはなされないでしょうが。) なお、斯様な場合には、迅速かつ誠実な対応こそが良い結果を招くものであり、リスクマネージメントのイロハのイであると、類似事情に詳しい友人から教えられています。

いつまでも重箱の隅をつついている鬱陶しい奴やなと、お思いかもしれませんが、一般企業であれば「諸般厳しい折から、多くが売上を減らしているなかでも、前年と同じ売上を確保できました。」といえば誇らしいものであり、称賛されるものであるのかもしれない。 しかし、適正な公示地点数や配置が求められているだけでなく、目的とする機能を果たしているのかと問われているなかで、ただ単に評価地点数(受託数量)や報酬額(売上)について前年実績を確保できたと述べることが、制度インフラに深く関わる公益社団法人として相応しいものであるのかと、真摯に考えるべき時機にあろうと思うのです。

「神は細部に宿る」と云います。 全ては唐突に生じるものではなく、何らかの兆候があるものです。 ましてや「なし崩し体質」の日本のことです。 消費税増税、社会保障縮減、そして原発再稼働、それらの端緒はいずれも、些細に見えることから始まっています。 現在の雇用市場の荒廃も、働き方の自由拡大という理由付けによる、人材派遣業の大幅な規制緩和に端を発していると思います。 地価公示の制度インフラ機能の転換は2012.06.15事業レビューに始まり、ひいては不動産鑑定士の社会的位置付けの変換も、其処から始まったということに為らなければ良いがと思っています。

ところで、特段の脈絡はないが、<問い>の問答より、一節を引用する。
『情報になった言葉はひじょうに透明です。 そもそも透明で均質でないと情報として流通しません。 しかし、実存を語る言葉は、どうみたって透明ではないです。 つまり、一定の確定的な意味が一義的に対応して、それを聞けば誰もが同じ意味で理解するような言葉で実存を語ることはとてもできない。 なぜなら、実存ということをリアルに感じるのは、きわめて限られた自己存在においてしかないからです。』 

 

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