恐山・死者・生者

2012.09.17  沖縄から九州の西側を抜けて朝鮮半島方面を北進中の台風16号の影響なのであろう、朝から時折吹きつのる強風雨、しばらくすると雲間から差してくる陽射し、また強風雨の繰り返しである。 何とも妙な天候であるが、厚い雨雲とその雲間の細かい断続が台風の周りを巡る風にのって、やってきているのであろう。東空の雲が黒く見えている。 ようやく双葉から本葉を出し始めた野菜たちが根元を洗われていることだろうなと思う。 病葉(わくらば)が多くなってきていた桜の枝が一夜でずいぶんと透けている。

今週は彼岸の入りである。 彼岸が近くなると、この夏訪れた恐山をあらためて思い出す。 曇り空の下で、恐山・宇曽利山湖畔に最近建立された地蔵尊の前に立ち、鐘を鳴らして、死者は生者のなかに生きると思いながら合掌したことを思い出します。

朝早くに下北半島下風呂温泉の津軽海峡に臨む宿を発ち、行き交う車もほとんどない山道をゆき、ようやくに峠を越えたと思ったら、木の間がくれに濃い緑がかったブルーに沈む湖というほどの広さもない水面が見えてきました。 時々道路をはずれてしまうカーナビをチェックしながら、あれが宇曽利山湖だと思い、恐山は直ぐ間近なのだと安堵もしていました。

人影もまばらな恐山菩提寺境内で、恐山菩提寺院代の南直哉師に導かれ(南師と玄侑宗久師の対談集に導かれ)、「あわい(間)」というものを実感したいという、念願が叶ってやってきた恐山です。 境内から宇曽利山湖につづく山道には、賽の河原と称されている石積みが多い場所があり、積まれた小石の間からは硫黄を含む噴気が小さな煙を上げている 。 そんな石積みのあいだにいて、賽の河原の説話を思い出していました。

幼くして亡くなった子供達が、残してきた親の供養を願って彼岸の河原に石を積むのだと云う。 でも積んでも積んでも、あとからあとから鬼がやってきて石を崩してしまうのだと云う。 繰り返しても繰り返しても結果のでないことを喩えて「賽の河原」ということである。 その亡き幼子の供養成仏を願って、現世此岸の親たちは幼子に代わって石を積んでやるのだと云う。 恐山にも幾つもの小石の山がありました。 山の裾には幼子の俗名戒名などを彫った石、風車、なかには小さな靴などが供えられています。

そんな賽の河原を巡っていると、今は亡き両親の(ふたおやの)こんな会話を聞きました。
母「アリャー、オトウサン、エリャー早いとこ来たんだネー。アンジョー世話して貰エンカッタカネ?」
父「 飯も旨かったし、エー酒も飲ませてくれたが、ワシャもう何飲んでも一緒なんだワ。」
母「そんなら、もっとゆっくり シトリャー ヨカッタガニ。」
父「ソンデモナー お前がおらんようになってからは、ナンカ寂してナァー。」
父「ところで、もうアキコ(孫)には会えたんか?」
母「 オウタデ、今は河原へ石を積みにイットルダワ。」
母「私もオニが出て崩されんよう、見張ットタラナ アカンノダワ。」
父「ホーカ、ソンナラ、ワシラも  ハヨー  マワシして行かなアカンナー。」

現実にはあり得ない、ひたすらに茫猿の心象風景にしか過ぎない幻聴なのですが、玄侑宗久師が云う「あわい」を垣間見た心もちがしました。 宗久師は恐山のような異界と俗世の交差する場所や時間を「あわい(間)」と言われます。 茫猿流に読み解けば、「あわい」とは死と生の挟間であり生きる者と死せる者の交差する時間であり場所なのであろうと思われます。 とは云うものの、「あわい」は生きる者だけの心象風景であり、他者の誰とも共有できない、只独りだけの心象風景にしかすぎません。

父母や娘や弟たち親族だけのことに限らず、茫猿が生きてくるあいだに出会い別れていった、今も記憶に残る人たちとの、一方通行の会話もまた「あわい」なのであろうと思います。 話は変わりますが、更新を心待ちにし、一、二度のe.Mailの行き来があり、早川氏のサイト「hayakarの日記」に導かれて訪れた関ヶ原生活美術館のことを思い出します。 早川氏のサイトは2010年12月24日記事を最後に更新されなくなり、更新されなくなったサイトに寄せられたフォローコメントやリンクするサイトの記事から、彼が2011/09頃に亡くなっていたことを知りました。

早川氏のサイトに寄せられたフォローコメントやリンクするサイトに捧げられた弔辞を読んでいて、なぜかとても羨ましい気持ちになりました。 《弔辞その2、 弔辞その3  そして多くの追悼エントリー
若くして亡くなられた早川氏を悼むのは当然だが、氏の生前の交流、しかもiNetを媒介とする篤い交流を得た早川氏と氏を巡る人たちを羨ましくも思えたのです。 多くの人たちに、かくも篤いものを残した、もう相まみえることなど叶わない、氏との「あわい」が得がたいものに思えるのです。

驟雨が止み雲間がきれると、蝉の声が聞こえてくる。 アブラゼミやミンミンゼミの声はもう数少なくなった木立のなかから、法師蝉だけがツクツクホーシィーとゆく夏を惜しむように鳴きたてている。季節がうつろい、人は逝きまた来たる、これもまた一つの「あわい」なのであろう。

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