せきがはら人間村

三上さんのサイトにて、亡くなって一年になる早川義春さんを思い出し、僅かながら茫猿と早川さんをつなぐ縁《えにし》がある関ヶ原人間村を久しぶりに訪ねてきた。 周囲の田圃は稲刈りも終わり、木々も赤く染まりだしている「せきがはら人間村」だった。 日曜(2012.10.14)とあって生活美術館は閉ざされていたが、勝手知ったる人間村だから、気儘に歩かせていただいた。

        
関ヶ原生活美術館は日曜日とあって閉ざされていたが、ニイズマガーデンは、いつもと同じように美しく整えられていた。 平日ならば、散策する社員の方や近隣の人たちの姿があるが、茫猿の他は誰もいない、独り占めの空間だった。 《写真はいずれもサムネイル表示です。クリックすれば拡大します。》

        
駐車場から一番近い「たつみ石彫動物公園」、芝生の上にカバ、カメ、ブタ、リュウ、タイヨウシンなどの石彫が散在している。 近所の子供達が好きな場所だろうなと思う。オトナだって石彫一つ一つの顔を眺めていると、微笑みが浮かんでくる。 カメの顔に見覚えがあるなと思ったら、スターウオーズのヨーダによく似ている。三百年も四百年も生きれば、同じ顔になるのだろう。

        
そして、スギモトオープンエアミュージアム。広い芝生の上を吹いてゆく秋風が心地良い。一つ一つの彫刻には説明板もあるが、そんなものはどうでもよいので、山と野と石彫と一体になって往く秋を楽しんでおれば好いのだと思っている。

        
道路といっても幅1m前後の農道は草が刈り込まれていて、歩くに不自由はない。遠くに枯れ草焼きだろうか、煙が見える。 この土手に腰を降ろして、グルマンで求めたパンとお茶で昼食にする。ススキの穂や紅葉し始めたドウダンツツジを眺めながらの昼食は贅沢なものだと思う。

アジアの苑、聖地を巡りながら田圃のあぜ道を行けば、茫猿が一番好きな「平和の杜」に至る。平和の杜から西へ少しゆくと「412年前の関ヶ原合戦開戦の地」である。
        
ピエール・セーカリー氏の彫刻“関ケ原”は、以前と同じ佇まいであるが、最初に訪れた頃とは、少しばかり変化が見えている。 無表情にも見える兵士の顔が十体、重なってならんでいるのだが、十二年の風雪にさらされて、それぞれの顔が微妙に異なって見えてくる。

雲間から薄日が差してくると、沈んでいた顔がにわかに活気を見せるようだ。 こうして幾つもの石彫は年月を経て、まわりの景色にとけ込み、自らの佇まいも変えてゆくのであろうと思う。 願っても叶わぬことながら、五十年後、百年後の「平和の杜」を見てみたいと思う。

石彫動物公園にあった、太陽神の如き像は、何を伝えようと云うのだろう。

人間村の農道でパンとお茶の、粗末とも贅沢とも云える昼食を摂りながら考えた。 第二次新スキーム改善案・修正案についての質問書を発送しようと決めた。 「ウザッタイ」と嫌がられるか、スルーされるだろうが、ここまで関わってきたことである。 大きく言えば、十数年関わってきたことである。 この期に及んで沈黙すれば、それはまさに「疚しき沈黙」なのであろうと考えた。
121014_質問書。《二次改善案修正案は開示しませんが、質問事項から類推して下さい。》
疚しき沈黙。

 

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