昭明さんに捧ぐ

2012.12.05 日鑑連・情報安全活用委員会へ出席するために上京途中の新幹線の車中のこと。 青空の下、白銀に輝く富士山に見惚れていたら、携帯電話にメール着信の報せが二件ありました。 二通のメールの報せは、ほぼ同じでした。 尊敬するロータリークラブの先輩・後藤昭明さんの訃報でした。 一瞬、頭の中が白くなり、しばらくして富士山はぼやけてきました。

青空と白銀の富士山。富士川鉄橋付近にて。

二十日ほど前に、ロータリークラブの現役先輩会員と退会したOB会員の集まりがございました。 席上、その日欠席された後藤さんのことが話題となり、最近は体調がすぐれず自宅療養中という様子を聞き、近いうちにお見舞に伺わなければと思っていた矢先のことでしたから、訃報が信じられず、とても驚きました。

後藤さんは、1930年生まれ、私とは14歳年長の先輩です。 私がロータリークラブに入会させて頂いた時のクラブ幹事を務めておられ、40歳を過ぎたばかりの最若年新会員の私を親切に丁寧に導いていただきました。 夜例会の多い私の所属したクラブでは、金曜夜の例会後には柳ヶ瀬に繰り出すことも多くて、しばらくして後藤さんとは、柳ヶ瀬に毎週お供するのが恒例となりました。 先輩会員のあいだでは「ゴッチャン」と呼び交わされている後藤さんですが、後輩の私は敬意と友情を込めて「ショウメイさん」と呼ばせて頂くのが、いつしか慣わしになりました。 例会が終わると、ショウメイさんは私を見て「シン(信)さー、行こうか」と笑みを浮かべた顔でアイコンタクトをされるのが、毎週の常(つね)でした。

戦後まだ間もない頃に、立命館大学に学んだショウメイさん、十数年遅れて同志社大学に遊んだ私、二人の間では立命館から見た同志社、同志社から見た立命、両者から見た京大談義が交わされたのも懐かしい思い出です。 京都の衣笠の話、今出川の話、木屋町高瀬川の話、寺町の古本屋の話、幾つかの祭の話、時代は違っていても同じ町の空気を吸った、二人だけの立同戦(私にとって本来は、同立戦ですが、ショウメイさんに敬意を込めて立同戦)でした。 ショウメイさんの趣味は音楽と鉄道、音楽では立命メンネルコール(?)に所属していた経歴があるショウメイさんに、音楽無縁の私は色々と教えて頂きました。モーツアルトやシューベルトを語らせたら際限なく、フルートも良くされたショウメイさんに、カラオケの手ほどきをして頂いたこともあります。 彼の振るタクトに合わせて歌うと、とても歌いやすく、心なしか上手くなったような気がしたものです。

ショウメイさんの十八番は、「冬のリビエラ」、一曲以上は滅多に歌わないショウメイさんですが、皆の要望に応えて二曲目を披露する時は「越冬ツバメ」でした。 歌の基礎を心得た彼の歌唱に皆が聴き惚れたものです。 「シン(信)さー、歌は上手い下手じゃないよ。 歌の思いを語ることだよ。」と、よく諭されたものです。

クラブのなかで、二人だけの趣味は鉄道でした。 私はジオラマ造りに市電やローカル線探訪、ショウメイさんはSLを中心とした音、そしてSLを観ること。 SLのドラフト音(煙を排出する“ボッボー”という音)が、機種毎に違う話は、絶対音階が無い私にはついて行けないうんちく話でしたが、でも力を込めて話すショウメイさんの語り口を聞いているのは、とても旨い酒の肴でした。  岐阜市の市電廃線が間近になったある夜のこと、「乗りに行こう!」と誘われて、岐阜駅前から長良橋電停まで、二人だけで市電を惜しみながら小さな旅をしたことは、昨日のようです。 また、何度もお越しいただいた我が茅庭での芋煮会を、無邪気に楽しまれているお姿も懐かしい思い出です。 (1993.11.14 撮影、小さく見えるのは村さん。ショウメイさんも村さんも若いが、茫猿はもっと若い。白髪など何処にも見えない。二十年の歳月は非情である。)

クラブライフも、二十年近くなった頃に、二人だけの深夜の柳ヶ瀬の小さなスナックバーでのこと、ふとショウメイさんが問いかけてきました。 「シンさー、オミャーさん、クラブを辞めたいのと違うか? 俺も辞めたいけど、俺は会長経験者だからなァー、死ぬか大病するまで辞められんのだわ。」、「ロータリークラブは親睦団体だよ。 だけど志があるからロータリークラブなんだ。 志が薄れたら、ただの呑みクラブだ。」 呟くともなく問いただすともなく、言外に「辞めたくなったら、辞めていいんだよ。」というような、思いがひそんでいる語りかけでした。

事務所を自宅に移転することも近いと思い始めた頃、私が二十年在籍を機会にクラブ退会を決意し、二人のお付き合いはしばらく途絶えました。 しかし間もなく「かおる会」という、現役と退会者の有志の集まりに招かれて、今度は年に数回の立同戦が復活し、それから六年経ちましたか、七年経ちましたか、突然のお別れとなりました。 奥様に伺えば、病院入院は一夜だけのことだったそうで、私にもまだ実感が無いというお話しでした。 先ほどお会いしたショウメイさんのお顔は、子供の頃のニックネーム「お地蔵さん」そのままの穏和な安らかなお顔でした。

あれもこれも、四半世紀を超えた年齢差を越える楽しく嬉しいお付き合いは終わりますが、ショウメイさんから教えていただいた「ロータリーの志、人生の筋目」は今も、これからも私のなかで生きています。 道に迷ったときは、ショウメイさんのお顔を思い浮かべながら、穏やかな笑顔と静かな語り口を思い出しながら考えます。 これからも私のなかで生き続けて、お付き合い下さい。  さようならではなく、これからもよろしく、ショウメイさん。 そして、今こそ「ゴッチャン」。

『 友逝く日  惑う(まどう)我が道  定まりぬ 』 (茫猿)

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