盂蘭盆会

盆も近いことから墓掃除に行ってきた。 我が家の墓地は《鑑定評価的にいえば》村落共同墓地であり、年に一度は集落の全戸が総出で墓地の掃除を行う。 盆《旧暦》を控えて今日がその日だったのである。  通路や墓石のまわりに伸びた雑草を刈り、墓石を洗いながら、母が亡くなって暫くしてから、脳裏に浮かんだことを思い出した。

旅だってしまった母は今頃、亜希子《1974年に三歳で亡くなった我が長女》に手を引かれて何処を歩いているだろうかと思ったのである。 九十になって腰が曲がった祖母の手を、四十近くなった孫が引いて歩いている。 その昔、幼くして亡くなった我が娘だが、祖母に嘗めるように可愛がられて育っていたものである。 その亜希子が祖母の手を引いて歩いている後ろ姿が脳裏に浮かんだのである。 お袋は孫娘にあってどんな会話をしているのだろうか、大きくなったネェーと言っているのだろうか、あれからどうしていたと聞いているのだろうか。 あり得ないことだが、有り得ることのように思えたのである。

今思えば人が亡くなると云うことは、無くなることであり無に帰ってゆくことであろうが、残された者の記憶のなかには確かに生きているのであり、思い出として残っている。 記憶に残っているのは在りし日の姿だから、四十歳になった娘の姿は想像できず、脳裏に浮かぶふたりの姿は後ろ姿なのである。

あり得ないことであろう。 お袋が孫に会えるのであれば、彼女の父母達にも先に逝った次男にも会えることだろう。 でもお袋が会うことができるのは、我が記憶のなかの死者達に会えるだけであり、我が記憶のなかに生きていない者には会うことはないのである。 いわば我が記憶という劇場に今も生きている者達で構成される幻のドラマに過ぎないのだから、登場人物は限られるし、演じられる舞台も我が記憶という演出に委ねられている。 死者は生者の記憶に残る限りにおいて不滅なのだと云えるのだが、記憶する生者の死とともに、その記憶に生きた死者も消えてゆくのである。

もうすぐに立秋である。 朝晩は涼しくなり昼中の風も爽やかに感じられるようになった鄙の陋宅に、孫たちが避暑に帰ってくる。 古稀を迎えた茫猿は、生者に佳い思い出が残ってほしいと願いつつ、孫を迎える準備を始めているのである。アスパラガスと名も知らぬ野花のコラボである。畑にあれば見過ごしてしまう小さな花たちだけれど、花瓶に移せばなにやら清涼感が漂うのである。

 

 

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