馬脚か本性か

かねてから、『鄙からの発信』は安倍晋三氏について幾たびか懸念を示してきた。
その懸念が、どうやら現実のものとなってきたようである。 彼が馬脚をあらわしたというよりも本性を明らかにしてきたと考えるべきであろう。
異常さを異常と気付かない非情さ (2006年7月30日)
紫陽花 ( 2007年6月9日)
予想どおりか、以上か ( 2007年7月30日)
政界は末期的症状 ( 2008年5月18日 )
暮れゆく2013年 ( 2013年12月29日)
伊吹残照 ( 2014年1月10日)

安倍総理の靖国神社参拝は、表面的には先の戦争で戦場に散った人々の霊を敬い鎮めるという行為であるが、A級戦犯も合祀されていることや、彼及び彼の側近達の言動からすれば、戦後処理の見直しを意図していると考えられるようになってきた。

かねてから、河野談話、村山談話の見直し《時の閣議決定の見直しを意味する》を言外ににおわせてきた安倍総理であるが、最近は憲法改正が困難ならば、《集団的自衛権の行使容認》解釈改憲に進もうとしている。

お友達と巷間揶揄されているNHK関連の人々の発言。
・NHK籾井会長:「従軍慰安婦は戦争をしているどこの国にもあった」発言
・NHK籾井会長:「国際放送で明確に日本の立場を主張するのは当然。政府が右ということを左というわけにはいかない」発言
・NHK経営委員百田尚樹:東京裁判批判の都知事候補応援演説
・NHK経営委員百田尚樹:自虐史観批判の都知事候補応援演説
・NHK経営委員:長谷川三千子:新聞社拳銃自殺事件を礼賛《雑誌論考》
いずれも公共放送であるNHKに係わる人たちの発言であり、公共放送にたずさわる人たちのジャーナリスト・スピリットを疑わせるに十分な発言である。《NHKは国営放送ではない。》

NHKのお友達経営委員や会長ばかりではない。側近たちの発言にもこんなものがある。
・本田悦朗内閣官房参与:安倍総理の靖国参拝を擁護する発言《米紙取材》
・衛藤晟一首相補佐官:靖国参拝への米国の反応について失望した発言《iNET動画掲載》

これらの側近やお友達の数々の問題発言は、総理の意向を代弁する先触れ発言なのだろうか、それとも確信犯的な勇み足発言なのだろうか。

発言の多くは事後に個人的発言と釈明し取り消しているが、いずれも公式の場における公的立場を明らかにした上での発言である。 居酒屋の片隅で呟いているのとは訳が違うのである。問題になったら個人的発言と釈明し取り消せば済むという問題ではない。いずれの発言もつい口が滑ったとか間違えたという発言ではなく、日ごろの言動に裏打ちされた確信的発言なのである。

そんな折から2014.02.24  米議会調査局は日米関係に関する報告書を公表し「安倍晋三首相の歴史観は第2次大戦に関する米国人の認識とぶつかる危険性がある」として、靖国神社参拝に踏み切った首相の歴史認識や周辺国との摩擦に懸念を示した。

米国議会調査局の見解などどちらでもよいが、米国に限らず諸外国とくに第二次大戦戦勝国のあいだでは、戦後処理に対する異議申し立て或いは戦後処理の変更を意図する発言と受け取られているようである。 先に挙げたお友だち発言者の多くは戦後長く多数派を形成してきた歴史認識を自虐史観と揶揄してきたが、彼らの認識こそ自慰史観《夜郎自大史観ともいう》なのだと思われる。 歴史の視点とか史観を語る上で、定説とされるのは歴史は勝者が語る《作る》ということである。 その伝でいえば戦後の日本並びに国際社会で流布されてきた1935~1945年の現代史史観は戦勝国史観とでも云うべきものであろう。 安倍総理並びにその一派がこの戦勝国史観を覆そうとか是正しようとすれば、何が起きるかは自明のことである。 それは旧戦勝国とのあいだで摩擦を生じる以外のなにものでもない。

さらに、集団的自衛権に関わる《集団的自衛権の行使を認める》安倍総理の国会答弁はとても問題である。 総理は『内閣の憲法解釈の最高責任者は私です。私が責任者であって、政府の答弁に対しても、私が責任を持って、そのうえにおいて、私たちは、選挙で国民から審判を受けるんですよ。審判を受けるのは、法制局長官ではないんです。』という発言をした。
この発言を字句どおり解すれば、内閣の交替ごとに憲法解釈が変更されることも可となる。立憲主義国家日本の根底を揺るがす問題発言であり、昭和の頃であれば内閣総辞職につながったであろう問題発言である。 そもそも立憲主義とは為政者の恣意的な政治を制御し、国民の人権擁護を第一義とするところにある。 時々の為政者が恣意的に解釈改憲を行っては、立憲主義が根底から崩されてしまう。 また内閣法制局というものは、一般の行政機関とは異なる性格を有するものであり、時の総理の意向に唯々諾々と従うべき存在ではない。法務の専門家集団として、内閣の法律解釈や憲法解釈を統一性並びに整合性あるものに糺してゆくのが役目であり、それは顧問弁護士にも例えられる存在なのである。

集団的自衛権に関わる憲法解釈変更について、橋本龍太郎内閣元自治大臣・元自民党総務局長白川勝彦氏が判りやすくしかも興味深い解説を自身のサイトで行っている。 今や雲散霧消してしまった旧自民党リベラル派の考え方と云ってもよいであろう。
永田町徒然草「傲慢不遜な憲法解釈の変更」《2014.03.01》である。

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