三月末から四月初めにかけて連日の如く続いていた更新は、途絶えて既に十日近くなる。 途絶えたのになにか理由《わけ》があるのでもない、ただ更新する気がしなかっただけなので、ファイルには書きかけの記事が数本溜まっている。 ただの春先の不定愁訴みたいなものである。
この旬日のあいだは晴天続きであった。晴天続きと云うよりも干天といったほうがよい気象であり、やや重い曇り空でも雨の降ることのない日が続いていた。 朝夕には畑に水を撒くのが日課の日々だったが、昨夜から今朝にかけて僅かだけどお湿りがあった。
干天が続けば木々はホコリっぽくなるのだが、今朝は雨に洗われ、久しぶりに若葉がすっきりと目に入ってくる。 我が陋屋の鄙桜はしばらく前に葉桜となっているが、鄙里の桜の季節が終わったわけではない。 三月の半ばに、サンシュユやマンサクとともに開花した寒緋桜を皮切りとして、ソメイヨシノ、鄙桜、大島桜、オオヤマザクラと咲き続け、今は八重桜が咲いている。
藪の隅ではシャガが秘やかに花開いている。花壇の薔薇やチューリップのような華やぎもムスカリのような鮮やかさもないけれど、何の手入れを受けることなくとも年々歳々かれんな花を付けてくれる。雨上がりの陋屋はハナミズキの赤、コデマリの白、ヤマブキの黄色が若葉の緑を背景にして、初夏の訪れを告げている。 枝垂れ桜は未だ時至らぬとみえて、今年も花を付けなかったが、もうすぐにヒラドツツジやサツキが花開くであろう。 既につぼみは色付いている。 花ではないが「柿若葉」も「青かえで」も萌葱色に芽吹いて目にしみるのである。
柿若葉と青かえでのグラデュエーションを切り撮ってみる。畑ではエンドウが花を付けている。 パセリ、ミツバ、アスパラ、ホウレンソウ、カリフラワーなどと並んで食卓を賑やかにする時季もまじかい。畑を彩る白でもある。根が太くて長いから厄介モノには違いないけれど、花は鮮やかなタンポポ。これとても鄙里の季節の彩りではある。 こちらはあぜ道を彩る黄色なのである。肌着を夏物に替え、夜具も薄くし、暖房器も仕舞わなければならない頃合いである。 毎日、事務所に通っていた頃は季節に先駆けて冬衣装から春夏衣装に衣替えすることを慣わしとしていたものだが、現役を退いてからは年毎に衣替えが遅くなるようである。 寄る年波と云ってしまえばそれまでのことであろうが、《来たる季節を迎えるよろこびよりも》移りゆく季節を惜しむ心もちが大きくなっているのであろう。
またひとり 急ぎ逝くかな 柿わかば 《茫猿》
柿わかば 訃報またひとつ 届くなり 《茫猿》
おなじ小学校、中学校、高校に通った友人S々木くんの訃報を今しがた受け取りました。 格別に親しい仲ではなかったけれど、折り目節目に彼の存在や生き方を意識させられるひとでした。 字句どおり第二の人生にもえていたし、それなりの成果をあげつつあると風のたよりを聞いてもいましただけに、まだまだ早い彼の終焉を知り、その胸中を思いやります。 《合掌》
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