長い間の習慣を一時に変えてしまうと、認知症を誘発する原因になりかねないという。 仕事を定年退職し、日がなすることもなくテレビの見張り番をするようになった場合とか、長年の趣味を止めてしまった場合とか、ようするに習慣的日常を停止し刺激の乏しい日々を過ごすようになると、認知症を誘発しかねないということであろう。
茫猿の場合、四十年ものあいだ続けてきた仕事を止めて晴耕雨読の日々を送るようになって五年になるが、仕事を止めても二日続けてパソコンに触らない日はなく、「鄙からの発信」は十五年も続けている。ところが、最近は「鄙からの発信」を更新することもなく、パソコンに触れない日も多くなっている。
「鄙からの発信」は旬の日々はとっくに過ぎ去ったと考えているし、残日録と名称を改めても実のところは書き続けることに倦んでいるのが正直なところである。とは云いながら、由無し事とはいえ何かを書き続けることは、茫猿の小さな脳髄に少なからぬ刺激を与えるものであり、まさに残日録&備忘録にもなることであろうと考えている。それが認知症を誘発する妨げになるのであればとても佳いことでもあろう。
晴耕雨読とはいえ、まとまったものを読むことは少なくなっている。手近にある書籍を拾い読むのがやっとの日々である。晴耕の方は、日々の作業に追われている。畑は多品種少量生産を心がけているから、法蓮草、小松菜、菜花、人参、ブロッコリー、秋馬鈴薯、分葱、葱、秋玉葱、大根、三つ葉などが育っている。 梅と柿の剪定も始めなければならない。
屋敷周りの鄙林の掃除も様々な作業が追いかけてくる。鄙林では生け垣を整え、伸び盛った下枝を下ろし、落ち葉をかかなければならない。他にも草深包丁をはじめ様々な作業が待っているから認知症が忍び寄ることなどなかろうと思ってはいるが、それでも心するにこしたことはなかろうと思っている。「鄙からの発信」日々更新という目標も悪くはないが、更新を義務にするというのも何やら憚られることだから、せめて週一更新は心がけようと考えているところである。世間への発信などというものではなく、自らのための残日録であり備忘録なのである。 だから、老いの繰り言も、世間への拗ね言も憚ることなく書いてゆこうと考えている。
季節は移り、2014年も残すところ五十日あまりとなり、山茶花の花が開き始めている。鄙の紅葉も黄葉もしだいに彩りを深めつつある。秋は深く、冬間近である。
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