あれから20年

1995.1.17から、今日で20年が過ぎた。
あれから20年、はや二十年が過ぎた。

先日、NHKだったか、働き盛りの二十年という番組を放送していた。 震災発生当時四十五歳だった方も働き盛りの二十年を経て、今や六十五歳になり、この二十年がもたらした今を語ると云う番組だった。 茫猿にしても七十一歳になった。余燼の漂う神戸の町に車を乗り入れた時のことを、昨日のように思い出す。

このサイトがいつまでアクセス可能か判らないが、阪神淡路大震災の凄まじい様子と、個人が対応できる防災対策のイロハを教えてくれる。Yahooトップページからもアクセス可能です。日々の生活に追われて、忘れてゆくことは致し方ない。忘れなくとも日々の新しい記憶が積み重なってゆき、震災記憶が記憶の底へ沈んでゆくことも致し方ない。でも、せめて年に一度くらいは、記憶を甦らせることで「忘れない縁《よすが》」としたいものである。

うわべを見る限りには、町はかつての賑わいを取り戻したかのようにみえるが、震災復興住宅では独居老人世帯が増え、孤独死をなさる方も後を絶たないという。二十年と云う月日のもたらしたものを、あらためて考える一日としたい。来月には2011.3.11から四年目が巡ってくる。四年前に往復1800kmの道のりを走り通した日のことが、なにやら遠い昔のように思えてくる。

庭に出てみると、ミゾレまじりの北風のなかにロウバイの花が咲き始めていた。月日は巡り人も確かに月日を重ねてゆく。今日はこれから昨年末にお亡くなりになった垂井のI.K氏の弔問に出かける。鑑定士協会を退かれて久しいことから、お亡くなりになったのを知ったのは先週のことだった。遅まきながら、御霊前にお別れを述べてこようと思っている。IMG_0868Iさんの弔問を終えて帰宅したら、毎年届けられる賀状が今年は届かなかった「西国のT.Mさん」の奥様から、年賀欠礼のご挨拶状が届いていた。茫猿より二歳年長の彼は昨夏に脳梗塞で倒れ、今も全介護状態で闘病生活を続けていると云う。少しずつでも御回復されることを、遠く鄙里より願うのである。願うことしかできないのである。

脈絡はないけれど、折しもEテレの「戦後史証言プロジェクト」では、「石牟礼道子さん:苦海浄土」の特集を放映している。再放送は2015年1月24日(土)午前0時00分~午前1時30分(金曜深夜)。脈絡はないと記したが、今も被害に苦しむ水俣病患者さんたちを忘れないために、思い出してせめて記憶を新たにすることが、とても大切なことだと思います。

 

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