俯瞰《鳥瞰》と仰観《虫観》

雨水の節季は過ぎ、三日に一度は木の芽起こしの雨が降るこの頃である。啓蟄にはまだ間があるが、日射しの温かい昼間には小虫も飛び交うようになった。 この冬のあいだの日課としていた柿の粗皮削りと畑の耕起も数日前に終わったので、今日は菊の株分けを行い、枇杷の苗木を植えた。枇杷が実を付けるのは数年先だろうが、まだ間に合うつもりでいる。間に合わなくても、さほど手入れを要する果樹ではないから、孫たちが楽しんでくれるだろう。 雨降りには、積ん読く状態だったピケテイの「21世紀の資本」と、ローレンス・クラウスの「宇宙が始まる前には何が会ったのか(A UNIVERSE FROM NOTHING)」を拾い読みしている。

国会では予算審議の傍ら、イスラム過激派事件に関連した日本政府の対応是非、人道的支援の具体的施策、「いくら説明しても分からない人は分からない」と開き直って辞任した西川農水大臣の対応などなどに忙殺されている。日々に発生しては消え去ってゆく事象を、茫猿が眺めているのは70億の人類の一人として鄙の片隅から仰観しているのに等しいことだろう。限られた情報しか得られず、しかも乏しい知識や経験からは、様々な事象の背後になにが潜んでいるのか、語られていることがらの真贋もその正しい実相も窺い知ることはできない。

一般的にはエリートと目されている名大生の「人を殺してみたかった。」という供述などは茫猿の理解の範疇を遠く越えている。ISISの無差別テロも凶暴さもおよそ人間業とは思えず、理解の外にある。曾野綾子氏が「差別と区別は違う。」といい、「人種による居住区分」はアパルトヘイトを意図するものではないと弁解したそうな。今、政権批判をするのは、ISISを利するだけという類いの政府批判封じの風潮も嘆かわしい限りである。

垂れ流すにも似たテレビ、新聞、ネットのニュース報道の洪水の中にいると、自分を見失い流されそうになる。 和歌山の小学生殺傷事件も、川崎で起きた小学生殺害事件の前には既に旧聞となってしまった。 あまりにも多くの事象がひき起されそして消えてゆく様は、世間の事象そのものが大量消費の一つとなってしまっているようでもある。 原発廃止や抑制についても、再稼働が既成事実化されつつある、そんな中で汚染水が海洋に垂れ流されていると云う報道もあった。

そんな時に、一つ一つの事象や事件をただ聞き流しているだけでは、事件報道の波に翻弄されるだけであり、何も得られず何も知り得ないと思わされる。 様々な事件事象に通貫する根源的なものを見通し捉えなければと考えさせられる。 いわば俯瞰的な目線をもって、全体をざくっと把握する力が求められているようにも思われる。

俯瞰とは高いところから全体を見渡すことを云うのであり、対語としては仰観《仰ぎ見ること》あるいは虫観《虫の目線で見ること》などがあげられよう。巨視的と微視的と言い換えることもできよう。マクロとミクロと言い換えても大きな誤りではなかろう。一つ一つの事件事象を虫観的、微視的に見ることも当然に重要であるが、それのみに捕らわれてはならず、大きく俯瞰的に眺めることも忘れてはならないと考えるのである。

同じ文脈で、加害者と被害者と云う視点も考えさせられる。戦後七〇年総理談話が公表されるまであと半年、総理談話を検討する有識者会議も組織された。有識者会議といえば聞こえはいいが、その実、安倍総理の意に添うであろう有識者を集めた「総理が指名する有識者(私的顧問)会議」なのであろう。 有識者会議と名付けたカモフラージュ会議であろうし、時の権力者が用いる常套手段でもある。法令等に裏打ちされた諮問会議であれば議事録作成が必須であるし、構成メンバーの委嘱も恣意的には行えないのである。

戦後七十年を考える時に、戦争被害者としての日本人が語られることが多い。広島・長崎の原爆体験、沖縄戦争の悲惨さ、東京大空襲、そしてシベリア抑留などなど、多くの戦争体験は被害者としての体験であるが、それは一般国民の体験であり銃後の市民体験であろう。軍人と軍属の加害者体験は語られることが少ないけれど、捕虜の処遇、従軍慰安婦問題での軍人軍属の関与、占領地軍政下の圧政など、いずれも軍人及び軍周辺者の加害者体験である。 しかし加害者は語らない。 日本と云う国は、この両者の落差を持つ国であるということを、常に意識しておかなければならないと考える。曾野綾子氏のアパルトヘイト政策推奨とも受け取られかねない発言などは、アパルトヘイトの被害者視点が全く欠けているものと云えよう。

《後記》 なにやらとりとめも無い記事となった。先回更新以前から書き溜めていた断片的原稿やメモを整理編集していたらこんな記事になってしまった。とりとめなくまとまらない記事ではあるが、様々な事象について茫猿は茫猿なりに考えてもいるという証でもある。 まとまらないけれど校正にも疲れたので、このままアップする。多すぎる考えることに、付いてゆけなくなったということも老化現象なのかもしれない。

《後記−2》 もう十年以上前の体験であるが、茫猿の身の回りで中国・韓国蔑視的発言を幾たびか聞いたことがある。 茫猿の身の回りと云えば鑑定業界でありロータリークラブ関係である。 いわば有識者の範疇に加えられそうな人々の、少なからぬ「戦後レジューム見直し論」的発言に驚かされた記憶がある。 近代史を知ること少なく、「ネトウヨ」的論調に漠然と付和雷同する人たちに驚いたものである。 都合の良い論調や耳ざわりの良い論調に疑いを持つこと無く同調する人たちに驚かされたのである。 そのとき茫猿はといえば、「和して同ぜず」ではあった。

 

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