白頭を悲しむ翁

桜の季節は華やかで心弾む季節なのに、いつの頃からか物憂い季節に思えるようになったと、先号記事に書いた。書いた後にいつ頃からもの憂しと書くようになったかと、過去記事を検索していたら、この詩を見つけた。

2011.04に掲載した『代悲白頭翁』:劉廷芝(唐詩選)である。訳詩は茫猿の意訳である。もの憂さの源はどうやらこのあたりのようである。 それにしても齢をとるということは愚痴っぽくなるものだ。

『代悲白頭翁』 劉廷芝(唐詩選)《茫猿意訳》

洛陽城東桃李花   都の郊外に 桃や李の花咲く里ありて
飛来飛去落誰家   花びらは風に舞い どこまで飛び散るのやら
洛陽女児惜顔色   都の女(ひと)は 肌の衰えを哀しみ
行逢落花長嘆息   落花を見れば ため息ばかり
今年花落顔色改   この花が散れば また一つ老けてしまう
明年花開復誰在   老けたあたしの行く末は 誰が返り見ようか
《中略》
年年歳歳花相似   年々歳々 花は同じく咲くのに
歳歳年年人不同   歳々年々 人はかわってゆく

寄言全盛紅顔子   青春のさなかにいる 少年が指して言う
應憐半死白頭翁   白髪頭の爺さんは 気の毒だと
此翁白頭真可憐   こんな白髪の爺さんだって
伊昔紅顔美少年   昔は美少年だったのだ おまえもいつかは皺だらけ
《中略》
一朝臥病無相識   一朝(ひとたび)病に臥せば 見舞客も無し
三春行楽在誰辺   あの日の賑わいは 今いずこ
《以下略》

さて、このサイトに我が陋屋の桜が最初に登場したのはいつのことかと検索したら、最も古い記事は2005年4月である。此処ではまだ陋屋の山桜と称している。我が陋屋の桜が登場することが少ないこの頃を振り返れば、まだまだ現役だったし、何よりゆっくりと家に居て桜を眺めることなどついぞ無かったと思い出す。朝早く家を出て夜遅く帰宅する毎日だから、気づいたら桜は葉桜になっていたというのが、実際のところである。その代わりに、当時の事務所前、美江寺公園の桜がよく登場していたようである。
※2005年4月《 花見にご招待  》
鄙桜という呼称が初出するのは2008年4月のことである。
《 朝日ににほふ山ざくら花 》

今朝の鄙桜は、二分咲きくらいか。150331hinasakura

枝垂れ桜が若木ながらも、多少は見られる花を咲かせるようになった。150331shidare三つ葉ツツジも咲き始めた。150331tsutsuji

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