ターミナルケア

朝から降り続く雨の昨日、旧友を見舞った。
向かった先はホスピスである。 雨のなか幹線道路添いのバス停から住宅街を高台に向かう坂道を十分も歩いただろうか、山麓の新緑がけむる林のなかにホスピス病棟を含む病院はあった。

彼を見舞うのは初めてではない。自宅へ見舞ったことも《02.29 転居先マンション》、別の入院先《03.23 東福寺駅・日赤病院》へ見舞ったこともある。彼がホスピスへ入院する予定と伝えられたのは今月初めのことであった。 長い友情の礼をひそやかに伝えたいと思ったし、心中深く別れを告げたいとも思ったのである。

でも、ためらいが消せなかった。彼が自らの病状を承知していることは判っていたし、ホスピスへ入院するに際しては病状告知を受けていることが条件であることも知っていた。 それでもただの入院ではない。ターミナルケア(終末期ケア)を目的とする入院である。 軽々しい気安めは虚しかろうし、どんな話題を選ぶかなどと逡巡したのである。

結局、自然体に如かずと思い至り、一期一会の思いを込めて見舞ったのである。 見舞の品は思案した挙げ句、高級チョコレートを選んだ。口寂しい時やお茶請けにと考え、食べるにも優しいよう、甘過ぎない一口大のチョコの詰め合わせを買い求めた。

それに加えて、若い頃の彼や、彼を加えた仲間たちの写真を数枚複製し簡易アルバムにして持参した。五十年を経て改めて眺めれば、結構イケメンの彼である。彼だけでなく写っている皆が若くて輝いている。過ぎてみれば五十年という歳月も瞬く間だったと思える。

最上階にある病室は清潔で、窓の向こうには山裾の若葉が広がっていた。病室の入り口に名札は無く、植物の絵札が掛けられていた。一般病棟と違って薬臭さが感じられず、とても閑かである。

訪れた時はリハビリ《たぶん緩和ケアであろう》中だった彼が、治療を終えて部屋に戻り、スタッフに支えられて病床に横になる。不自由な会話で見舞の礼を言う彼にミニアルバムを差し出すと、一枚一枚をゆっくりと眺めながら顔をほころばせて喜んでくれた。もどかしくはずまない会話ではあるが、しばしのあいだセピア色の写真に写る山陰線の鈍行列車、白川郷、マレーシアなどを思い出し、五十年前、四十年前に遊ぶのである。

知らぬ人が聞けばブラックジョークとも心ない会話とも受け取られかねない話題で、しばらく弾んだ。今さらにカミシモも歯に衣も要るものかという思いであるが、緩和ケア病床にある者と見舞に立ち寄る者との隔絶の差は何ともできない。 病状が許せば、五月の風を探しに行こうと伝えて病室を後にしたけれど、再び相見えることが約束されているわけではないと思えば、立ち去り難いのである。

今朝の鄙里は久方ぶりの青空のもと、さわやかな風が吹き抜けている。イロハカエデ、ハナミズキ、チシオモミジ、ナンキンハゼ、クスの若葉がグラデーションをつくり、ヒラドツツジ、ドウダン、ボタン、ヤマブキ、コデマリ、シャガ、ベニスオウ、サツキの花が彩りを添えている。チューリップも百日草もタンポポも咲いている。 振り返って悔やむこともなく、行く末を慮ることもなく、ひたすらこの今に浸り切ろうと思う。DSC08619

振り返ることなしと記したが、記事の末尾に索引される「この記事に似ているかも?しれない記事」から幾つかの記事を拾い読みするときがある。今や書いたことすら忘れている記事に出会うのである。記事の背景を偲んでみたり、記事に関わる人を思い出したりするのである。そんな時には、由無し事とは云いながら、十七年余も書き続けてきて佳かったと、年甲斐も無く甘い感慨にふけるのである。

《2015.04.25 金  追記》
世間では明日から黄金週間である。明日から05/06まで、人によっては05/10までの休暇となるのだろう。ホスピスに寝起きする彼も、ゴールデンウィークには息子が帰郷してくるから、一時帰宅するのだと嬉しそうに言っていた。日がな病床に伏しており、わずかなリハビリと巡回検診以外はテレビと新聞以外に為すことも無い日々である。そんな日々は閑寂だろうか、寂寥だろうか、察っしてやることしかできない。だから、久しぶりの家族団欒を十分に楽しんでほしいと願っている。 私にしてからが、五年前のGWにはファイナルステージにいた母を看取るために家族が勢揃いしていた。お祭りのような一週間を過ごしていたのを懐かしく思い出す。 《 緑のカーテン 2010.05.07 》

 

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