一人に届け

父母が亡くなってから五年が過ぎた。振り返ってみればあっという間の五年であった。父母がこの世を去ってから、村北と中村と云うかけがえの無い友が去り、従兄弟の守さん、治夫君、従兄弟同様の佳宏君が逝き、義之、秀夫、益雄と三人の叔父が逝った。去った者ばかりではない。孫娘が生まれ、もうすぐに三歳となる。

この夏に孫と遊んでいて思わされるのは、いつまで孫を自動車に乗せて遊びに行けるのであろうかということである。会うたび毎に孫は活発になり、駆け出す彼女を追いかけるのに大わらわである。孫は日毎に成長し、こちらは年毎に衰えてゆくのを否応無く実感させられるのである。父母に可愛がった孫《息子》の娘《曾孫》を見せてやりたかったとも思うけれど、生あれば百歳と百歳近い父母は、ただただ眼を細めて「オーオー」と言っているだけだろうなとも思うのである。人が命をつないでゆくということは、それなりに厳しいとも残酷ともいえる一面を持っているのだと思わされる。

そういえば、かつての遊び仲間たちも日毎に疎遠となり、それぞれに孫と遊ぶ写真をFacebookに載せる暮らし向きである。月日は俺もお前も変えている。

《一人に届ける》
このサイト「鄙からの発信」は1999年以来、既に17年続けている。記事数は2,600件を越えている。このサイトが多くの人に読まれることを願わない訳ではない。しかし、多くの人に読まれる為に、書きたいことを書かなかったり作為を施すことはしたくないと考えている。そのときその時に書くべきと考えること、書きたいと考えること、伝えたいと考えること、残したいと考えることを書いてきた。多くの人に読まれることよりも、ひとりの人に読まれることを考えて書き続けてきた。ひとりとは特定のひとりではない。一人でも読まれればよいと考える一人である。 先々号にも記したが、「疾しき沈黙」だけは避けたいと考えている。

《何故の極右化》
男女平等についてマツコデラックスは「男の世界に合わせられる女の人じゃないと平等には結局ならないもんね。女の感性のままで勝負しようと思ったら、相当無理だよ」と苦言を呈した。女性政治家が増えていることについては「スカート履いてるだけで、中身は男じゃん」と一刀両断した。

権力中枢をしっかと握って手離さない「ニッポンのオッサン」どもの価値観・世界観に自己同一化することであり、それは、マイノリティ集団の構成員においてしばしば起こるように、マジョリティへの過剰な同一化として表れる、ということだ。つまり、彼女たちの極端な右ブレは、圧倒的なオッサン中心社会の平均的価値観に過剰同一化した結果にほかなるまい。《白井聡ブログより引用》 女性政治家だけに見られることではなかろう。若手の男性政治家にも過剰同一性というよりも、見苦しいほどのすり寄りが見られる。

《やめてほしい原発再稼働》
東京電力福島第1原発事故の処理費用が膨らんでいる。東電や国の概算で、被害者への賠償はすでに5.4兆円に達し、廃炉・汚染水対策に約2兆円など少なくとも計11兆円規模になる見通しだ。川内原発が再稼働し、高浜原発の再稼働も日程にのぼっている。

高浜原発が事故を起こせば、福井県若狭地方に止まらず、我が鄙里も無縁ではない。高浜原発から我が鄙里までは直線距離で90kmも離れているが、北西の風が吹きつのる冬場に事故が起きれば、数時間を待たず汚染される危険性が高い。未だに何の説明も無いし、避難訓練も準備されていない。近いからとモノ申しているのではない。世界有数の火山地震列島である日本において原発を稼働させ続ける愚かさ、そして危機を予見しようとしない無神経さを憂えている。

原発はベースロード電源として重要だと政府は言っているが、震度六以上の地震に見舞われれば相当長期間の運用停止に陥るであろうことは、柏崎原発でも明らかになったことである。いったん事故が起きれば早期回復が望めない原発をベースロード電源に位置づける無神経さを憂えているのである。《2007年の新潟県中越沖地震により変圧器火災発生。柏崎刈羽発電所全面停止する。》

軟骨漢になるな》
新島襄が同志社創立時にしたためた激文があります。 私の人生の指針とする同志社精神です。 しかし、明治男という者は新島に限らず、どうしてああも佳い顔を持っているのだろうかと思います。 生来の角《かど》のせいか、気骨のせいか、それとも安逸を願わぬ硬骨のせいなのか、考えさせられます。

『新島襄の檄文』
我が校の門をくヾりたるものは

政治家になるもよし、宗教家になるもよし、
實業家になるもよし、教育者になるもよし、
文学者になるもよし、
且つ少々角あるも可、奇骨あるも可、

たヾかの優游不断(ユウジュウフダン)にして、安逸を貪り
苟(イヤシ)くも姑息の計を為すが如き、
軟骨漢には決してならぬこと
これ予の切に望み、
偏(ヒトエ)に希ふ(ネガウ)ところである。090811niijima1

《初秋刀魚》
行きつけのスーパーへチリメン山椒を作ろうとジャコを買い求めに行ったら、初物の秋刀魚を見つけた。手頃の値段だったから買い求めて、夕食は炉端焼きサンマである。畑の大根を抜き庭先の酢橘《スダチ》をもいで、心だけ豊かな夕食である。まだ脂がのっていないサンマだったが、サッパリしているだけに家人の口にはとても合ったようである。20150826sanma  20150826sudachi

 

 

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