秋雨前線

先号記事にも書いたことであるが、8月27日に瓜畑などを整地して苗圃を用意したのに、それから一週間ずっと雨続きである。降り続いているわけではないが、晴れの一日がなく畑が乾かないから秋冬物の種が蒔けない。 白菜や玉葱はポット蒔きをしたけれど、人参、法蓮草、大根、赤白蕪が蒔けない。

農業と云うものは自然との競争であり共存なのだと思わされている。ハウス園芸であれば天候は無関係かもしれないが、それでも旱天続きや雨天続きはハウス管理にも光熱費にも影響するであろう。

晴耕雨読どころか雨読雨覧《録溜めしたBS映画を見ている》ばかりである。先号記事が思わぬ長いものになったのも、書き直し書き加えた雨の日続きのせいでもある。今日も雨だから、畑に出れないし庭先炉端でサンマもサツマイモも焼けない。藤沢周平を長読みすれば眼が痛くなるから、ツァラトゥストラでも開いて居眠りの日とするか。これ以上は眼が痛くなるから、記事もここまで。

《午後に追記1》
ひと筋の、勢いのいい筆で描いたような雲が空を斜めに横切っていて、そこにはさっきまで空半分を染めていた夕映えの名残りが残っていた。その雲だけを残して、空は一面の青黒い鋼《はがね》いろに変わろうとしている。
《藤沢周平:夜消える・消息(文春文庫)より引用する。こんな夕空が現れる季節なのに、いっこうにお目にかかれない、ここしばらくの日々である。》

《午後の追記2》
雨読雨覧のひとつに、日頃は疎遠である「松岡正剛:千夜千冊」を読んでいる。記事中のリンクを辿って拾い読みをしたり、目次頁から興味のあるモノを開けたりしている。今は「岡本喜八対談集:しどろもどろ」を読んでいる。読みながらこの追記を書いている《タイプしている》。 読んだからと云って、紹介している書籍を購入することは滅多に無い、正剛の千夜千冊を読んだだけで紹介されている書を読んだ気になっているのである。
そういえば、岡本喜八監督夫人で、プロデューサーとして支えてきた岡本みね子さんのテレビドキュメンタリー《岡本監督追悼番組》を観たのはいつのことだったか。

この記事には多くの岡本監督作品の予告編がリンクされている。本編を観ることも大切なのだろうが、鬼才岡本監督の予告編を八編も観れば岡本監督の鬼才振りが何となく伝わってくる。

見逃してしまったというよりも、製作上映も気づかなかった「ゆずり葉の頃」を観る機会があれば観たいと考えている。喜寿がそんなに遠くはない今の茫猿に相応しい映画なのではと思っている。”ゆずり葉”とは、春に枝先に若葉が出たあと、前年の葉がそれに譲るように落葉することから。その様子を、親が子を育てて家が代々続いていくように見立てて縁起物とされ、正月の飾りや庭木に使われる。この映画は岡本監督夫人・岡本みね子《旧姓  中みね子》が製作・脚本・監督する作品である。

テレビ録画HDには、岡本喜八監督の「日本のいちばん長い日」と「肉弾」がまだ再生しないままに録画保存されている。これも雨読雨覧の日の楽しみである。

雨の夕刻、夕顔の花が咲いている。日除けに作ったゴーヤと朝顔と夕顔のグリーンカーテンである。ゴーヤの黄色い花と紫の朝顔は盛りを過ぎたけれど、夕顔の白い花はまだまだ多く咲かせている。夕刻に咲き朝方にはしぼんでいる夕顔の花であるが、楽しみにしている”夕顔の実:瓜”はいっこうに実らない。刷毛で受粉させてみようか、それとも白い花に蜜を求めてのことであろう数匹の黒い蟻に委ねようか。20150901yuugao

 

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