終戦記念日という言い換え

矢部宏治氏の日本はなぜ・・論や白井聡氏の永続敗戦論などを読みながら、茫猿自身は「終戦記念日」をどのように考えていたか、いつ頃から考えはじめていたかを確認したくて、我がアーカイブを検索したらこの記事に出会った。この記事は2001年8月16日付けの「鄙からの発信」記事の再掲である。十四年が経過しても色褪せていないどころか、今も新鮮というよりも今こそという記事に、我ながら驚く。この十四年はどういう歳月だったのか。

【以下は2001.08.16記事の再掲である】
小泉首相の8/15靖国参拝は、予想通りというか有る意味で戦後常識的な形で決着が付きました。来年どうするのか、今から1年後のことを考えても仕方がないが、来年も首相の座にいるのかどうかを含めて興味深いことである。 昨夜のNHKスペシャル「2001年あなた達にとって日本とは」を見ていて感じたことをランダムに書きつづってみたい。


当夜のゲスト三人の一人、城山三郎氏は最近「最後の特攻隊員・中都留中尉」の物語を上梓している。彼自身も少年飛行生だったというし、常識派であるしリベラル派でもある城山氏の、感情を抑えた淡々とした物言いの中に、深い悲しみを見る気がしました。敗戦後に特攻機として飛び立たざるを得なかった中都留氏の思いはいかばかりであったか。

同じ世代で、銃後からかの戦争を見てきた沢地久枝氏は、数々の女性側から見た戦争のルポルタージュを書いてきた人である。彼女が何度も問いかけた「15年戦争を知ること、そして考えること」の意味を、茫猿も考えてみたい。
先日、映画「ホタル」を観て、あまりにも情緒に流されたその描き方に違和感を感じていたのですが、違和感を感じたことは間違いではなかったと再認識しました。

ゲスト三人のうちで一番若く、茫猿とほぼ同じ世代の岡本行夫氏は、「若い人々は一国平和主義に閉じこもらずに、世界の平和と安全の為に汗を流す用意がありますか」と問いかけていました。
沢地氏がすかさず、汗を流すことのなかに血を流すことを含みますか?
血を流すことだけが貢献ではないでしょう。まさに汗を流すことが求められているのではと、問い直していたのが印象的でした。

番組全体の流れのなかで一番気になったのは、当日スタジオに集まった約三十名の若者は、今の日本のなかでは意識の高い若者なのだろうという疑問でした。その意識が高いであろう若者にしても、五十年前の事象を正確に理解していないと感じられることのもどかしさと云いますか怖さを感じました。

もう一つ、印象に残ったのは、「仕方がない」という言葉です。六十年前から現在に至るまで、「仕方がない」で片付けてしまう日本人の体質は変わっていない。「仕方がない」を英訳すると「No Choices」と云うことになるのだそうです。有る段階で思考停止をしてしまい。「仕方がない」と諦めてしまう日本人体質は戦後も形を変えて根底では生き続けているのではないかという問いかけが、とても心に残りました。

大勢迎合主義といったら言い過ぎでしょうか。合理的思考を大切にし、合理的思考を突き詰めることを何処かで放棄してしまう日本人の、ある種の無責任事勿れ思想が戦争を引き起こし、ひたすら拡大し、敗戦に至ったとも云えると考えました。

唯々国体護持にこだわったが為に(当時の体制維持であり、軍と官僚に代表される支配階級の現状維持が国体維持の実質的中味でしょう)、戦争末期の一年間に飢餓と病気と空襲と原爆で実に多くの戦没者を出すに至った責任が問われないままに五十年を過ごしてしまったことのツケが、今にして廻ってきていると言えると考えました。

自分の頭で考えて、情緒に流されず合理的思考を追い求め、孤立することを怖れない。少数派になることを恐れない。 同時に、少数意見を大事にし尊重する。「現実は・・」とか、「仕方がないだろう・・」という、情緒的問答無用論を振りかざさない。そして、責任の所在を明らかにし、自己の責任を正しく自覚する。
物事の決着することを厭い、曖昧さの中に先送りすることを選択したがる、そんな考え方は「無責任であり、恥ずかしいことなのだ」と考える人々が少しでも増えてゆくように期待したい。

沈黙は金で雄弁は銀かもしれない。しかし、無関心や無知なるが故の沈黙は悪である。恥知らずな無責任である。とも思いました。 何よりも無条件降伏をしたにも関わらず、「終戦記念日」と言い換えて口を拭っていることの愚かさを一番感じました。

表現をすり替えることにより、ことの本質を隠蔽してしまう言霊の国日本人の特技は、「敗退を転進」と言い換えた大本営発表が今に至るも形を変えて続いているのだと自覚することが大事なのだと考えました。 何よりも、「自分の子供や孫に、銃を持たせるのか。決して持たせないのか。」、その視点から多くのことを問い直してみたいと考えます。

いつもの蛇足です ———
言い換えることにより、本質を覆い隠し、愚かな安心に逃げ込む事例は身近にも沢山あります。 曰わく公的評価、曰わく士協会包括取纏契約、曰わく特定価格或いはいわゆる特定価格や特定的価格、揺るぎのない定義もケジメもついていない正常価格や標準価格や標準的価格等々。
「小難しいことを何時までも言うなよ。目の前の仕事をこなそうよ」という現実主義の怪物に抗うことは辛いことです。

《2015.09.04  追記》、小泉総理は総裁選時に、終戦の日の8月15日に靖国神社参拝をすることを公約としていた。総理の靖国神社参拝は中国・韓国の反発に配慮して長年行われていなかった。小泉は、批判に一定の配慮を示し、公約の8月15日ではなく13日に靖国神社参拝を行った。

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