敗れたから仕方ない

今日はマルキンで旧友と久方ぶりのランチでした。《マルキンについてはVIVA MALKIN投稿日:

一つは、彼の縁者の話。彼の近しい縁者が間もなく与論島へ移住すると云う。移住の理由が振るっていて、配偶者を亡くした哀しみ癒えない時に、与論島に渡り数日滞在したそうです。その折に見た夕陽の見事さに圧倒され、その場で移住を決意したのだそうです。

鹿児島県最南端、沖縄本島の北に位置する与論島ですから、東シナ海に沈む夕陽が見事であろうことは、与論島は知らなくても十分に想像できます。ただ今は、彼のアドバイスも受けて移住先新居を建築中とのことで、それを語る彼の「俺には出来そうも無いけれど、夕陽が見事で、海が美しくて、とても暮らし易い島だそうな、台風を除けばだけど。」という口ぶりには、何やら、とても羨ましそうな思いが垣間見えました。

女房子供に加えて、簡単に処分できそうも無い持ち家、他にも様々な憂き世のシガラミといえば、我がことも同じであり、彼の羨ましさがよくよく理解できるのです。《茫猿の今月は親類縁者の法要が三件、地元の寺の年行事が一件、出なければ出不足料を徴収される地元地区の恒例行事が一件、それに加えて息子夫婦と祖父祖母両家の行事まであるという俗事に絡めとられた一ヶ月です。》

鹿児島県の最南端とは云うものの、沖縄那覇空港から40分の距離であり、国内にも海外にも利便性の高い離島であるとのこと。お金を使わなくて暮らせる島へ、出来ることなら移住したいものです。《もちろん、バラ色の先行きばかりではないでしょうが、海外経験も豊富な彼の縁者であれば、与論暮らしにも難なく慣れ親しむのでしょう。》

もう一つは彼のマイブームのことです。 彼の家庭では最近、「《戦に》敗れたのだから、仕方ないさ!!」というのが、こと毎に彼の口に上るのだそうです。具体的な話は聞けなかったのですが、何かあるたびに「敗れたのだから、仕方ないさ。」で、一件落着するのだそうです。 茫猿がこのところずっと考えていることと、妙に気脈が通じているのがとても面白く思えたのです。

話は少し逸れて、平成28年度予算概算要求の話に飛びます。総額が102兆4千億円、厚労省関連が30兆7千億円、そのうち年金・医療費が28兆7千億円《28%》、国債費が26兆円《25%》だそうです。平成27年度末の公債残高807兆円がさらに上積みされるようですし、既に国・地方債務を合わせれば1,035兆円に達しており、削減の方向性すら見えない。今後、団塊の世代が後期高齢者入りし、世界景気はデフレ基調を抜け出せないとすれば、国債の日銀引き受けも遠くない時期に限界が見えるのであろう。

税収の20年分にも達しようと云う債務を返還してゆく妙手などあるはずも無いのであり、素人考えでも2020年五輪に浮かれている場合ではなかろうと思えるのである。金融機関による国債引き受けは利益を生み出す貸付先が見当たらない経済情勢と低金利の相乗結果とも言えるのだろうし、日銀の引き受けは国債の市中消化が限界にきた結果だろう。

ざくっと言ってしまえば、政府と日銀と市中金融機関の見えざる共同謀議による不透明な信用創造とも云えるのであろう。 政府が国債債券を印刷し、市中金融機関と日銀が引き受ける。償還を担保するものは、日本国民の存在そのものと云えるのであろう。 いわば、たらい回し信用創造とも、スイッチバック信用創造ともいえるものであり、最終的に国民が引き受けない限り、際限なく続けられるものではなかろう。償還に不安が無く国債価格の安定性に信頼がおけなければ、国民や国内企業が進んで国債を引き受けられない。

デフォルトかともいわれたギリシャと違い、日本は大丈夫だと云う根拠の薄弱な議論がしばらく前にあったけれど、相対的に財政規模の小さいギリシャにはEUという救いの手が存在したが、日本に救いの手を差し伸べてくれる地域共同体は見当たらないし、米国も当てにはできないであろう。 日本国債の引き受け手は日本国内だからデフォルトにはならないという楽観論も存在するけれど、一旦危急の時となれば日本富裕層の国外脱出は拍車を掛けるであろう。《既に外貨建て預金や外国株へ投資する富裕層は多いと聞こえてくる。円安による富裕層の高揚感は株高のみではなかろう。》

想像される《想像したくない》シナリオは、ハイパーインフレ、苛斂徴求増税、年金及び高齢者医療費の大幅カットなどであろう。少子高齢化が大きく進行している離島や過疎地では、都市部などに比較すれば不十分な高齢者医療、不十分な高齢者介護福祉に加えて、教育・交通など不十分な生活インフラが現実のものとなっている。

せめて俺たちが生きているうちだけは何とか今のままでという高齢者の思いは、エゴでありミーイズムなのであろう。久しぶりに長話をした旧友と語っていても、破綻しているのに、行き詰まっているのに、現実を直視しようとしない某業界の内輪話は、その業界だけに限らないのであり、広く蔓延しているのであろうという結論に落ち着くのである。結論は「《先の戦争に》敗れたのだから、仕方ないさ」というところで、久方の逢瀬はお時間となりました。

先号記事「終戦記念日という言い換え 投稿日:

《閑話休題》 かつての茫猿の事務所が存在していた岐阜市美江寺町の近くにあった「司町:岐阜大学医学部跡地」は岐阜市メデイアコスモスという名前の図書館と市民活動交流センターに生まれ変わっていました。歩いて三分もしない場所に、すてきな施設が誕生していて、せめて十年早ければ利便性や快適性を享受できたのにと思いました。写真右手奥は大理石の正面階段や知事室など映画ロケにも使われた1924年建築の旧岐阜県庁です。《現在は文化財的価値を認められた南側正面部分を除き解体撤去済み。》20150904a

岐阜提灯をイメージしたのか岐阜和傘をイメージしたのか、ゆったりとしたグローブの吊り下がる読書フロア。20150904b

爽やかな風が吹き抜け、金華山に連なる山並みが見える「ひだまりテラス」、右手の林はかつての「鄙からの発信」にしばしば登場した美江寺公園。20150904c

屋外には、幅30m延長240mの「せせらぎの並木:テニテオ」が整備されてあり、陽気が良くなるこれからは格好の遊び場になることでしょう。20150904d

マルキンの客席から眺める柳ケ瀬の森木立は、雨に洗われて佳い雰囲気でした。20150904e

《追記》宋文州氏のメールマガジン最新号(論長論短 No.250)が、興味深い示唆に富む内容である。詳しくはバックナンバーをお読みいただきたいが、ポイントはこうである。尚、宋氏の説に拠れば、「敗れたから、仕方ない」と片付けてしまうことは、さらに混迷を深めることになりかねないと云えるのだろう。

飛行機や原子炉などのような人命にかかわる重大なシステムにたまたま一つのミスや事故が発覚した場合、それは一つのミスや事故の問題ではありません。その偶然な問題の後ろに十倍の同程度の危険が潜んで、ワンランク下の危険が数十倍も潜んでいると解釈できます。組織構成から考え方までも徹底的に見直さないといつか大きな事故に繋がります。
《中略》「社会全体がたるんでいるんじゃないか。」エンブレム白紙撤回に際して経済同友会の小林さんのコメントに賛成ですが、それは他人事ではなく、私達経済人も含まれていることを、強く自分に言い聞かせたいものです。

 

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