普天間基地問題の帰趨


先に普天間問題の本質という記事を書いたが、最近の新聞記事には「普天間問題を誤ると日米同盟を揺るがす。」とか、「日米同盟の基軸は沖縄基地」などという表現がとても目立つのである。 それらは大手新聞紙の論調でもあるし、政治家(自民党だけでなく民主党も含めて)の主張でもある。

誰も違和感を感じないのであろうか。 「沖縄は米国太平洋戦略のキーストーン」と言ったのは確か佐藤栄作総理、「沖縄は不沈空母」と言ったのは中曽根総理、そして「日米同盟に軍事的要素はない。」と発言して伊東外務大臣が辞職したのは鈴木善幸総理だったと記憶する。


「国家間の同盟」という文言は、友好関係とか提携関係とかいう表現とは異なり、軍事的同盟という背景を抜きにして語り得ない文言であろう。 いつの頃から日米同盟という表現が、何のためらいもなく使われるようになってしまったのだろうかと考える。

朝鮮戦争の頃、台湾海峡紛争の頃、東西冷戦激化の頃ならいざ知らず、「東西冷戦」が終わりを告げて二十年、「米中関係が戦略的互恵パートナー関係」に変化し、「北朝鮮核並びにミサイル問題」が存在するとはいうもののそれが潜在的な驚異であるにしても、切迫した緊張下にあるとはとても思えないのである。
ためらいなく「日米同盟」という表現を多用し、日米同盟が万古不易の存在であるように言い、そこから思考停止をしてしまうことに、マスコミやジャーナリストは違和感を感じないのだろうか。 世界は変わっているのである。

Co2排出問題ではEUと日本が提携し、米国と中国、印度が提携するという状況にある。 東西関係は西の米国、英国と東の中東世界の対立に変じたと言ってもよい状況である。 日米同盟を基軸にしながらアジア重視というほとんど自己撞着と言ってよい表現に固執するのが、本当の国益に叶うものなのであろうかと疑問なのである。

折しも「核密約」や「沖縄返還に伴う密約」の存在が明らかにされつつある。 遠く日露戦争当時の「ロシアの対応策」の読み違いあるいは無視、「日米開戦」当時に軍部内に少しは異論が存在したことなども明らかにされつつある。

日米同盟、就中その意図するところの軍事的背景を金科玉条とすれば、沖縄に駐留する基地の存在は万古不易でなければならないであろう。 でもミリタリーバランスの変化、政治情勢の変化等々をいえば、沖縄に存在する基地が不動であるべき論理は成り立たないと考えられる。米軍はフィリッピンから撤退し、韓国駐留も縮減しようとしている。そのような時になぜ沖縄だけが不変で在らねばならないのだろうか。

一番の要因は駐留経費であり、二番目は周辺の社会情勢だろうと思われる。 沖縄駐留は多額の駐留経費を日本が負担しているのであるし、基地を巡って激しいデモや抗議行動が沸き起こっているわけでもない。 米軍並びに米国の太平洋戦略にとって、安全安心かつ安価な駐留なのである。 だからといって、ベトナム戦争当時と同じ規模の米軍基地を提供し続けなければならないという理屈は無かろうと考える。hutennma

つまり普天間基地問題は、単に沖縄県内移転か、県外移転か、国外移転かといった視点から考えると問題の本質が見えなくなる。 2010年以降の日米同盟のあり方という視点が欠かせないのだと考えるのである。 よく日米安保条約は片務契約であるという言い方がされるが、「日本防衛のために米兵の血を流しましょう。」と言うほどに、米国はお人好しなのであろうか。 イラクやアフガンで米兵が血を流しているのは、一方的お人好し的な行為であると言うのであろうか。

人権擁護とか独裁阻止といった大義名分を掲げているが、その本質は石油戦略でありアラブ・イスラエル戦略であることはまず間違いなかろう。 フセイン打倒やタリバン打倒がアメリカの国益にかなうものであるという本質的評価が底流にあるのは隠しようのない事実であろう。 石油戦略という側面からすれば、日本もなにがしかの寄与をせざるを得ないという論理もあながち否定できないと云える。

アメリカにとって大西洋戦略と太平洋戦略は自ずと異なるものであろう。 それは建国の経緯やヨーロッパとロシアの存在が一方にあり、一方には中国の存在があるからで、対欧州、対露西亜政策と対中国政策が異なるのは当然であるし、米国と中国は朝鮮戦争の一時期を除けば敵対したことがないという経緯を有しているのも歴史が教えてくれるのである。

勃興する十三億人の中国が良くも悪くも基軸になるという二十一世紀東アジアの地政学的趨勢を考えれば、日米同盟の有り様が万古不易と考えることの愚かさにぼちぼち気付いてもよかろうと思うのである。 日米同盟の変化、今後の望ましいあり方を考えれば「普天間基地」問題の帰趨は自ずと見えてくると考える。

年内に普天間問題を決着しないと日米関係は決定的に悪化するという外務省の主張に、真の正当性が認められるのだろうか疑問である。 鳩山総理がこの問題の決着を来年以降に持ち越そうとしているのは、「日米同盟の根幹」や「対等互恵関係としての日米関係」を考えようとしているからと云えば、深読みに過ぎようか。

この問題は別の表現をすると(別の推理をすると)よく見えてくると考える。 すなわち「日米同盟が万古不易」であることによって「利を得る者は誰か?」という視点からの推理である。 さ、考えてみようではないか。

【2009.12.09 追記】
この類《たぐい》の議論で、論敵を封殺する主張の最大のものは「ミサイルが飛んで来たら、どうするのだ!」という主張である。 「直ちに報復するために、軍事的な備えが必要だ。」というのである。 矛と盾の寓話の昔から、この手の議論には際限がなく、止めようがない軍拡の泥沼に堕ちるだけである。 何よりも、ミサイルが落ちた先には日本国民が生活しているのである。 ミサイルを発射させない軍事的抑制力を否定しないが、同時に軍事冒険主義を自制させる政治的経済的な抑止力を働かせることがもっと重要なのである。 とかく世論というものは勇ましい議論に引きずられがちであるが、そのもたらす結果も歴史が教えてくれることである。

【2015.09.08 追記】
普天間基地の辺野古移転工事を一ヶ月間中断して、政府と沖縄県が「辺野古集中協議」を行ってきたが、結局のところ両者の主張は噛み合ず、物別れに終わった。当初から予想されたことだが、政府の申し出によるこの協議は安全法案審議の反対が多くなったことへの、ある種のアリバイ工作なのであろう。また今後に予想される移転反対運動の激化に対する言い訳なのでもあろう。

協議に出席した安倍総理は「普天間基地の辺野古移転は、19年前の日米両政府の合意が原点である。」と主張する。 これに対して沖縄県翁長知事は「戦後、占領軍による住民の土地の強制接収により《銃剣とブルトーザによる接収》、米軍基地が造られたのが原点であり、強制接収の代替施設を求められるのは理不尽だ。」と反論する。

沖縄県は敗戦後に占領が開始されてからの七十年を云い。政府は戦後五十年を所与として、それ以後二十年を云うのである。議論が噛み合ず溝が埋まらないのは当然の帰結である。安倍総理が戦後レジュームからの脱却を謳うのであれば、沖縄の戦後七十年レジュームからの脱却を目指すべきであろう。

さらにいえば、沖縄の戦後レジュームは戦後に始まったものではなく、国内唯一の地上戦が戦われた1945年3月26日から始まり、沖縄の戦後は1945年6月20日から始まり、本土より20年も長い占領期を経て現在に至っているのである。この戦中戦後の歴史に真摯に向き合わずして、普天間基地移転問題を前進させることは叶わないであろう。

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