越南紀行−6

本日は、ホーチミン《旧サイゴン》の銀座通りと下町池袋裏通りについて語ろう。
銀座通りとはホーチミンの目抜き通りであるドンコイ通りのことであり、池袋裏通りとはタイピン市場にも近いファングーラオ通り付近のことである。

『ホーチミンのショッピング街とバックパッカー街』
先ずはファングーラオ通り付近について。茫猿と孫娘たち一行が深夜ベトナム・ホーチミン空港に着いて、待っていたチャーター・カーに乗り込んで送られたのが、この街のど真ん中にあるAn An Hotel であった。深夜12時過ぎと云うのに、この街は夕方並の雑踏であった。

東南アジア特有の蒸し暑い熱気の漂うなか、車とバイクの喧噪、行き交う人と物売りの呼び交う声、明るい店先とケバケバしいネオンが溢れていた。チェックインもそこそこに一行はベッドに倒れ込んだのだが、街は眠ること無く一晩中ざわめきが絶えなかった。

茫猿が搭乗の疲れと機内で飲んだビールにスコッチミニボトルの酔いで一眠りしてから、スコールの雷鳴に起こされて降りて行ったホテル付近の街の様子である。撮影時刻は09.19の04:15 である。店先にたむろしている人たちは、朝食のフォーやバインミーを摂りながら談笑している。茫猿はまだ寝ぼけ眼の傍らの家人を起こして、到着直後に空港で両替したベトナムドンの内から20万ドン《邦貨換算約1200円》を受取り、空きっ腹を癒しに到着時に見かけたコンビニに向かうのである。この時は路上屋台に立ち寄る勇気はなかった。《為替レートに付いては、後日記事にする。》6015sitamati

ツアコンを務める息子の話によれば、ホーチミンのファングーラオ通り付近は安宿が多くてバックパッカーが集まる下町として有名だそうである。この写真を撮影した時間には明らかな異邦人は見かけなかったが、日中には多くの西洋人や旅人らしき東洋人も見かけた。慣れないと身構えてしまう街であるけれど、慣れれば安く過ごせる滞在し易い街なのであろう。

茫猿一行が二泊したAn An Hotel は、日本で云えば中級ビジネスホテルと云うところであろうか、バストイレ付きのツインルームであり、部屋は十分な広さがあった。ただし、客室とホテルフロントオフィス以外の付帯施設等は何も無い。食事は近くの街中食堂、喫茶店及び路上屋台でするのである。喧噪と少し鼻につく臭気さえ厭わなければ人懐かしい町である。茫猿たちも到着翌朝の朝食はホテル近くの喫茶店で取り、ホテル出立の日の朝はこれもホテル近くのバインミー屋でバインミー・サンドイッチを買い、路上屋台でコーヒーを買って朝食としたのである。6015ananhotel

アンアンホテル付近の横町早朝風景《09.19  09:10》6015ananhukin

『ドンコイ通りとグエンフエ通り』
ホーチミンで茫猿一行が宿泊したのは、キリであるのがanan hotelだとすれば、Hotel Majestic Saigon はピンに例えられよう。マジェステイック・ホテルはホーチミンの銀座街と称されるショッピング街であるドンコイ通りがサイゴン川に突き当たる角に位置する。一番古いホテル館は建築後90年を経過しフランス植民地時代の面影を残す重厚な造りである。シンガポールのラッフルズホテルなどと並び称される由緒あるホテルである。

ドンコイ通りに並行してホーチミン像や人民委員会庁舎があるグエンフエ通りがある。グエンフエ通りはいわゆる百メーター通りであり、両側に一方通行の車道が通じ、中央は公園広場となっている。

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ホテル・ドアボーイに撮ってもらった投宿記念撮影6015majestic2

ドンコイ通りはブテイックや飲食店が建ち並ぶ繁華街である。ブテイックには入り易い店から、ドアマンが待つ店まで様々である。入り易い店では値段交渉が必須であるが、ドアマンがいる店ではネゴシエーションが通用しない。正価販売を主張して値下げ交渉には一歩も引かないのである。

茫猿もこわした体調が戻ってきた家人に付き添って二度ほど買い物に訪れたのであるが、拙い英語と身振りによる値引き交渉には笑って手を横に振り応えなかった。翌日、茫猿以外の同行者が訪れて、息子と息子の義父が交渉したそうであるが結果は同様だったそうである。家人は正価で衣装品を買い求めたのである。

《ネットステマにもガイドブックにも頼らずに、この店へ母を案内した親爺の選択眼はさすがと、息子たちが言っていたと、後刻家人から聞いた。なお茫猿は、ガイドブックはもともと持っていないのである。ホテルで入手した地図だけを持って家人をエスコートしていたのである。茫猿の飲食店やブテイックの選択は、店頭の設えを主な選択肢として行うのであり、はずれたことは少ない。はずれたとしても、その経験が次の選択を確かなものにする。昔、子どもだった息子たちと家族旅行をした時にも、そういった選択方法を教えていたものである。》

観光名所になっている重厚な造りの中央郵便局前の路地では、カラフルな雑貨を売る人たちがたむろしていたが、買い気を惹くものはなかった。写真は、中央郵便局内部と路上物売り。郵便局ホール中央奥には、建国の父・ホーチミン像が掲げられている。6015postoffice6015monouri

視線を上げれば整った町並みであるが、足許の歩道は段差が多いうえに歩道のブロック舗装もところどころ剥がれている。マジェステイック・ホテルから聖マリア教会や中央郵便局までがドンコイ通りで、これに並行して通じる広路がグエンフエ通りである。グエンフエ通りはいわゆる百m道路で両側の車道は一方通行、中央は歩道公園になっている。

早朝は散歩する市民を多く見かける。茫猿が朝早く歩いた時には人民委員会庁舎前のホーチミン像前で何かのセレモニーが行われていた。《この件は後述する》
植栽がないから、やたらだだっ広い感じがする通りであるが、共産主義国家特有のセレモニー広場として利用されるのであろう。

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