越南紀行・番外編

私は基本的に旅先では土産物を買わない。買ったとしても僅かである。両親が存命中は旅先で食べて旨かったものを一品か二品買って帰るくらいであった。今回は家人と同伴であるから何も買う必要がない。僅かにメコン民宿で呑んで旨かったベトナム焼酎を思い出にと思ったが、慌ただしく民宿を旅立つ朝に買い忘れ、ホーチミンの酒屋で探したけれど同じものは売っていなかった。フォーの乾麺も考えたけれど、嵩張って小さな我がバックパックには入らないので断念した。

『土産物』
持っていったハンチングキャップでは厳しい日ざしがしのげないから、ニャチャンのショップでストローハット(防水紙で作られている)を買い求め使っていた。そのハットをそのまま持ち帰ったから、これが土産と云えば土産だろう。写真は現地で約三割も値切って買い求めた170,000VND(約千円)のストローハットもどきである。この帽子は、来夏の農作業に使う予定である。IMG_1066

そこで僅かな土産物と云えるのかどうか、旅先でコレクションした紙片を数枚撮影して掲載しておきます。先ずはホーチミンで宿泊したHotel Majestic Saigonとニャチャンで宿泊したNOVOTELのカードキー・ケースである。他者には何の意味も無い品であるが、茫猿にとっては、旅先での様々な出来事につながる品々である。何の因果かカードキーが不調になり、深夜にフロントで再入力してもらったこと。その深夜の外出で同室者の不興をかったこと。カードキー・ケースから宿泊したホテルにつながり、ホテルが所在する街につながってゆくのである。1004cardcace

次いで、Hotel Majestic Saigon 絵葉書、アンテイークさが漂ってくる絵面《えずら》である。後々にこの絵葉書を眺めて、遠き思い出に浸る時もいつか来るのであろう。1004POSTCARD

そして、夜行寝台列車で車内販売されたビールや飲料水などの袋。《クッキーがおまけに入っていた。》 ついに観ることは叶わなかった先頭車両・デイーゼル機関車が印刷されている。我々が乗った列車の機関車がこれと同じ機関車であるかどうかは判らない。でもこれも懐かしい旅につながる思い出の品なのである。《記載されているのはベトナム語》1004hukuro

『為替レート』
立ち寄ったコンビニや喫茶店《喫茶と云うよりも軽食食堂》のレシートである。
喫茶店では、フォー《50,000VND》、Saigon beer《22,00VND》を支払い、コンビニ・サークルKでは、飲料水2本《9,000VND》、カシューナッツ《29,000VND》、オニオンリング《25,500VND》、Saigon Beer《15,000VND》を支払っている。サークルKでは、78,500VNDの支払いに500,00VND《邦貨約2,900円》を払い、421,500VND《邦貨約2,450円》のお釣りを貰っている。ビールの値段が違うのは店飲みと持ち帰りの他に、喫茶店では瓶ビールを飲み、コンビニは缶ビールだったことも影響しているのであろう。いずれにしてもビールは安かったし、結構な味だった。 繰り返しになるが、インフレの恐ろしさを垣間見たし、円安の辛さを実感したのである。
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『ベトナムコーヒー』
ホーチミンでベトナムスタイルのコーヒーは殆ど飲まなかった。たぶん一度か二度飲んだだけである。一貫してアメリカーノのブラックにこだわった私である。地元調味料に付いてもほとんど馴染まなかった。味が薄いと思えば、塩とライムで補足することが多かった。豆板醤のような赤い辛みそは敬遠するのである。 こんな私を見て息子は「郷に入っては郷に従え」とか、「肩肘張るな」と言うけれど、老い先短い私は自分流を通したいだけである。

ベトナムのコーヒーや調味料を全部否定するわけではない。ベトナムスタイルのコーヒーを否定するものではないが、甘ったるいコーヒーは好まないしブラックでいただくアメリカーノの方が旨いし好みにあっているだけである。調味料は少量であれば使うが、大量に使って素材の風味を消してしまう食べ方は好まないのである。純和風や京風を好みとするのであり、関東風や田舎風の甘辛く濃い味付けを好まないと云ったら判ってもらえるだろうか。

『ベトナム盆栽』
日本の盆栽が影響したものかどうかは判らない。植物を仕立てると云う意味での盆栽は日本だけのものではなかろうと思われる。Novotel ホテルの前には数鉢の盆栽仕立ての植物が置かれていた《写真左・中》。ホーチミンからメコンデルタに向かう途中の道路沿いにも盆栽屋とおぼしき店が数軒見受けられた。またニャチャン海浜沿いの公園に植栽される植物のうち糸杉に似た植物は、盆栽仕立てに整えられていた。メコンデルタで宿泊した民宿中庭に置かれていた水盤の山も盆栽風であった《写真右。水盤には金魚風の魚が泳いでいた》。

いずれの盆栽も仕立てるスタイルは日本の盆栽風であるが、大きさが異なる。卓上スタイルは見かけず床置き用の大きなものである。写真の盆栽も高さは2m近くある。ともあれ、盆栽が事業として成り立ち得ること自体が、ベトナムの民生安定を物語っていると思われる。

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『孫と祖父』
この旅では孫娘の写真は多く撮れなかった。既述のように、ハシャグ孫娘をたしなめることの多い鬱陶しい髭爺には近寄ってこないし、二人で過ごすことも無かったから、写真は撮れていない。もちろん、皆無と云うことではないが、多くの孫の写真を公開するのは憚られるから、一部を除き掲載もしない。

孫の携帯補水瓶発見のときも感じたが、孫と爺の関係は微妙である。優しく甘いだけの爺でいるのは簡単だし楽なことでもあるが、彼女の将来を考えれば、また我が血を引く者であると考えればなおのこと、接し方は簡単ではない。

特に私と孫は同居していないし、孫は東京、私は岐阜と距離も離れている。毎週はおろか毎月会うことも容易ではない。そんな接する密度の低い幼児との付き合いは微妙である。少し厳しく接すれば良くない印象しか残らないであろうことは自明である。でも私は今はそれで佳いと考えている。私の悪印象は祖母である家人が補ってくれるだろうし、彼女が成長してゆくにつれて異なる私の一面を知ってくれることもあるだろうと考えている。

これも「鄙からの発信」では再々に既述することであるが、無財の七布施なのである。それは、慈眼施であり、和顔施であり、愛語施である。そして、捨身施であり、心慮施であり、壮座施であり、房舎施であろうと考えている。会うときは優しく見守り、笑顔で接し、優しく語る。汗をかいて孫と遊び、孫とともに喜びともに哀しむ。時至れば孫に座を譲り、いつの日にか孫の役に立つように鄙里を守ってゆく。そんな風に考えている。

『旅の非日常と旅三楽』
旅とは非日常であり、非日常を楽しむことと考えている。1,000,000VNDが5,800円前後でしかないのも非日常であり、喧噪と慣れぬ匂いが渦巻くマーケットも非日常である。非日常のなかにいて、鄙里を思い我が身の来し方行く末を思うのも得難いことと考えるのである。行く末とは言うものの、「来年のことを言えば鬼が笑う」という喩えが年毎に身にしみてくる茫猿でもある。

それにしても、こうして旅三楽《旅する前のワクワク感を楽しみ、旅のなかでは非日常を楽しみ、旅の後は振り返って楽しむ》のうち、秋の夜長に旅のあれやこれやを整理し終わってみると、「嗚呼、非日常は行き去っていったのだな」という感慨が、帰りきぬ昨日についての些かの悔いとともに茫猿の身を包むのである。それもこれも、日常に追われることが少なくなったリタイアの身なればこその「揺蕩うある種の幸せなのかも」と思い直すのである。

帰着して落ち着く間もなく、家人は今月から来月にかけて、姉妹4人と実家の義姉を含めた5人の女子会プラン、そして同期の桜とはいっても全員古稀目前4人の旅行会の企画に大わらわである。予定が次から次へとあって、家人の気分が前向きなのは家庭内平和にとっても良きことである。

 

 

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