草刈りつ憶う

エンジン音を響かせる動力鎌で屋敷林の下草、畑廻りそして土手の草を刈っている。今年最後の草刈りである。草刈は五月連休過ぎから梅雨前に一度、盛夏の時期に一度か二度、そして彼岸過ぎに一度刈るのである。朝八時頃から始めて正午過ぎにはその日の作業は終える。概ね三日間程度で刈り終えるが、盛夏の頃は汗だくになっての四日間仕事になる。《夏は朝七時くらいから始めるが、草丈が長く草の密度も高いのである。》

刈った草は畑の一角の囲いの中に積み上げて堆肥にするのだが、積み上げる時も有れば疲れて積み上げない時もある。柿の木の下草などは寄せ集めて燃やすのが一番良いと聞いてはいるが、なかなかに体力が続かない。燃やしてしまうのは、落ち葉に潜む病気や害虫を駆除するためである。

土手の草刈りは、既に老者となった茫猿には剣呑な仕事である。川に向かって傾斜する土手は滑り易いし、滑り落ちたら川に向かってドッブンである。川に落ちるだけなら、この季節は濡れるだけで済むが、間違って回転する鎌の刃先に触れようものなら大怪我をしてしまうのである。

この数年は草を刈りながら常に憶うことがある。それは、いつまでこの作業を続けられるだろうかと云うことである。先のことなど誰にも判らないのだから、思い煩っても仕方の無いことだと判ってはいるが、それでも草を刈りながら憶いは常に同じところにゆく。

亡くなった両親の晩年を思えば、あと十年は刈り続けられるのではと思いもするが、こればかりは誰にも判らないことである。何故に刈り続けていたいかといえば、せめて草を刈り林の下枝を落としていれば、この茅屋も荒れ果てることにはならないと思うからである。

茫猿が生きてこの鄙里に暮らしている間は美しく整えていたいとは思うが、せめて荒れ果てたと云われるような状況だけは避けたいと願うのである。自らの暮らしの為だけではなく、時折訪れてくる孫娘の為に、あるいは息子たちに事有る時のシェルターのために、侘びてはいても、落ち着いた佇まいを保っていたいと願うのである。

息子たちのシェルターと記したけれど、そんな事態は起こらぬことを願っている。それでも息子たちが疲れた時に心休める鄙里でありたいと思っている。現にこの数年のうちにでも、しばしの癒しを求めて、息子たちがこの鄙里に数日滞在したことが有る。いつでも彼等を優しく迎える鄙里でありたいと思っている。そのために流す汗であり、剣呑な土手の草刈りである。孫や息子たちの為などと言いつつ、実はお為ごかしなのであり、茫猿自身が暮らしてゆく環境を整えることに、すべての意味が有るのだとも思っている。

畢竟、リタイアして五年、日々の暮らしに目標が見えなくなり、ただ生きているだけのように思えてくるこの頃である。 だから、自らの暮らしに何がしかの意味を与えてやりたいと云うだけなのかもしれないと、またまた思うのである。

来年のことはおろか明日さえ判らなくなる日に、日々近づきつつ有る今の茫猿なのである。思い煩っても詮無いことを思い煩うなと自らに言い聞かせながら、草を刈り続ける茫猿でもある。

昨日は郵便局から来春の賀状予約の始まりを伝える葉書が届いた。来年の賀状・全国通常版は猿に梅のデザインのようである。figure_national_img_01

今年こそ、宛名は手書きで、文面にも一筆添えねばと思いつつ、賀状の印刷図案と挨拶文を考え始めなければと思っている。十月初旬と云うのに忙しない《せわしない》ことである。昨日の迷い鄙桜であるが、iphoneによる接写技術が未熟でピントが弱かった。少し勉強して技術力が向上したから撮り直すのである。《接写したい被写体に画面タッチしてしばらくすると”AE/AFロック”と云う表示が現れる。露出とオートフォーカスが固定されて、接写が可能となる。》《こういう桜を狂い咲きという言い方があるが、我が鄙桜には似つかわしくないので、”迷い桜”と称するのである。》IMG_1141

先ほどのFaceBook投稿によれば、日本不動産鑑定士協会連合会の設立五十周年記念祝賀会が開催されているようだ。熊倉会長が式辞を述べている写真が投稿されている。今月14日には小泉元総理と有森裕子さんの記念講演会開催が予定されている。いずれも今の私には縁無き出来事になってしまった。

 

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