パリで起きた同時多発テロ

フランス・パリで2015/11/13に同時多発テロが起きた。伝えられているところでは、約130名の市民が亡くなり300名近い負傷者がでたという。過激派組織ISILによる自爆テロだと報道されている。このような事件についてニュース報道以外に知り得ることがとても少ない、老鄙人が語るのは避けたいとも考える。それでも事件報道に接して何を考えたかを記録しておくことにも意味が有ると考えるので、記事にしておくのである。何よりも無関心は最大の罪であろうと考える。

尚、この記事をFBやTwitterで拡散するのは止めようかとも考えたが、あえて拡散する。それは、FBプロフィルを仏三色旗に重ねることの意味を、少なからぬ人たちに考え直してほしいからである。FBプロフィルと仏三色旗の重ねという行為は、本質的にFBが備えている「軽いノリ」に組してしまいかねないと考えるからである。

シリアやイラクから大量の難民が欧州に流れ込んでいるから、いつかはこのようなテロ事件が起きるのではとかねてから懸念していたことが現実になった。

平穏に暮らしている一般市民を巻き添えにする《自爆》テロは許されないことである。断固避難されるべきことである。以下は報道やiNetに伝えられている事象に接して茫猿が考えたことの羅列である。順不同であり、前後の脈絡にも欠ける記述である。整理するにはあまりにも複雑であり、結果として意に沿わないことにもなりかねない。

この種の問題について冷静な論評をする「田中宙:国際ニュース解説」を読んでみても、「冷泉彰彦:JMMレポート《JMMが発行するメルマガ》」を読んでみても、背景は複雑すぎて簡単に理解できるものではない。

《2015/11/13テロ事件一つを考えれば》
許されないことであり、過激派組織・ISILは断固避難されるものである。不幸にしてテロに遭遇し亡くなられた方にお悔やみを申し上げ、負傷された方にお見舞い申し上げるものである。

《事件の背景−1》
今年始めに後藤健二さん他を無惨に殺害した過激派組織・ISILは、残虐であり無軌道であり、とても許されないし、彼らの存在自体を認めることも出来ない。《この時に、茫猿は「鄙からの発信」には何も記すことができなかった。》

しかしながら、ISIL《イスラム国》を殲滅する目的であれば、市民を巻き添えにするシリア空爆が許容されるものであろうか。ISILがシリア並びにイラク空爆の報復として無差別自爆テロを行ったからといって、空爆を強化することだけでよいのだろうか。負の連鎖を深めてゆくだけのことになりはしないか。

後藤さん惨殺事件についても、その発端である湯川さんが何を意図してシリアに潜入しようとしたのかから問い直されなければならないのであろう。過激派組織・ISILが持っている武器弾薬にしても、どのようなルートで供給されたものなのか、その資金源は何処に有るのか問い糺されなければならない。

《事件の背景−2》
アルカイダに端を発する過激派組織・ISILを生み出した背景を考えなければと思う。中東地域の勢力範囲を直線で分割したのは、当時の欧米列強であったこと。原油と云う地下資源争奪戦が背景に有ること。アフガン戦争は米ソの代理戦争だったこと。《ベトナム戦争だって、朝鮮戦争だって、経過だけをたどれば代理戦争に始まり直接介入につながった。》

アフガニスタン紛争は、同国の共産政権成立に対するムジャーヒディーンの武装蜂起《アメリカCIAの支援と言われている》、ソ連の軍事介入、ソ連軍撤退、ターリバーン勢力の台頭と崩壊、アルカーイダの誕生、現カルザイ政権の誕生に至るまでの半世紀近い複雑な経緯を辿っている。その間に米軍特殊部隊によるアルカーイダ指導者:ウサーマ・ビン・ラーディン殺害事件も起きている。パキスタンなどの周辺国だけでなく、ソ連やその後継ロシアそしてアメリカなどの大国の利害が複雑に絡んでおり、一筋縄ではゆかない経過なのである。

今現在でも、過激派組織・ISILに関連する事象はシリアとイラクだけでなく、レバノン、イラン、イスラエル、ヨルダン、アラビアそしてトルコの周辺各国の利害に加えて、パレスチナ難民自治域、国家を持たないクルド民族が複雑に絡み合っているのである。錯綜する民族、宗教、専制王制、少数派支配の独裁政治、そして欧米露列強の利害が絡むのである。遠く極東の日本から眺めていて簡単に理解できるような問題ではない。

《事件の背景−3》
パリの無差別テロは2015/11/13に起きている。
ISILが関与とも云われる「エジプト発のロシア機墜落事件」は、2015/10/31に発生。
パリ・テロの前日、2015/11/12にはレバノンのベイルートで43名死亡、240人負傷と云う自爆テロが起きている。 これらの一連の事件は別個のものではなくISILによる連鎖が疑われている。

《勇ましい主張と軟弱主張》
安倍総理をはじめ内外政界で勇ましい発言が続いている。過激派組織・ISILやアルカイダを殲滅しろと云う類いの勇ましい発言は、哀しみにくれている世間が受け入れ易いものである。 しかしながら、テロに対する選択肢が空爆強化だけでよいのだろうか疑問なのである。勇ましい発言に対して、「立ち止まって考えろ」的な発言は軟弱とか日和見とか非難されるのが世の常である。

過激派を生み出した根っこを糾さなければ、負の連鎖を繰り返すだけのことになりはしないかという類いの意見は、勇ましい発言の前ではかき消されてしまっている。

米露英仏独など欧米列強からの発言のみを聞いていればよいのであろうか。シリア、イラク、レバノン、パレスチナの人々《民衆》はどのように考えているのだろうか。欧米のマスコミが伝えたいことを聞くだけでよかろうか。中東の人々が何を求めているのか何を聞きたいのか言いたいのか、知ろうとすることが大事なことであろうと考える。

《SNSの軽さ・rainbow flagとフランス国旗
この無差別テロを受けて、米Facebookは11月13日から”「パリ市民の安全と平和を願うプロフィール写真を設定しよう」キャンペーン”を開始し、日本においては14日夜から同様の試みが開始されている。FBのプロフィール写真にフランス国旗の三色旗を重ねあわせることのできるこの仕様を、日本においても多くのユーザーが実装しつつある。

FaceBookのプロフィル写真で示す弔意と連帯は、事件の本質に迫ること無く流されてゆく。それは軽い乗りで垂れ流されてゆく日常茶飯事的書き込みにも似ている。
「パリ市民の安全と平和を願うプロフィール写真を設定しよう。」というのであれば、せめて写真を変えるべきであろう。笑顔の写真の上にフランス国旗を重ねて弔意が示せるのかと考える。

それでも僕が、Facebookのプロフをトリコロールにしたわけ」筆者のこの考えには一理あるし、理解できない訳でもない。

無差別自爆テロの元祖
無差別自爆テロの元祖は、1972年のテルアビブ空港自動小銃乱射テロに始まると云う記事を読んだ。また自爆行為は神風攻撃に始まるとも記事は言う。ともに日本人が始めたことである。

一つ一つの書き込みには何の脈絡も無い。しかしながら「宗教戦争」とまで言うアジテーションに無関心であって良いはずはないのである。過激派・ISILとイスラムを一緒くたにしてしまう粗雑な議論に組してはならないと考えている。アルカイダや過激派・ISを理解しようと言うのではない。立ち止まって、それらの鬼っ子を生み出してしまった背景に考えを及ぼそうと云うのである。

戦いと云うものが、戦場を限定し兵力と兵力の争いであったのは第一次大戦以前のことであろう。戦場を限定せず銃後を叩くこと、補給兵站線や銃後の軍事工場を叩くことに拡大し、都市爆撃が行われるようになったのは第二次大戦以後のことである。

正規軍とパルチザンやゲリラの戦いがエスカレーションしていった結果が、過激派組織・無差別テロに至ったともいえるのであろうし、いずれの時にもパルチザンやゲリラに、そして過激派無差別テロ組織に武器弾薬を提供する闇組織が介在している。それらの対比として専守防衛とか武器弾薬輸出禁止と云うことは大きな意味を有していることなのである。一国平和主義などと揶揄されることでもないし、戦いを無闇にエスカレーションさせてしまうことでも無いと云うことに気づくべき時であろう。

2007年10月31日にこんな記事を書いていた。「テロ対策と国益
そもそも論というものは、得てして議論を混乱させたり議論をあらぬ方向へ導く意図を隠していたりするものである。しかしながら、事象の発生した出発点に留意しながら議論を進めてゆかなければ、これまた議論を藪の中に導いてしまうのである。

中東やアフリカにおける紛争と云うもの、戦争と云うものは、大国の「国益擁護という大義を装った美名」のもとでの介入が常である。 直接の軍事介入には至らなくとも資金提供や武器提供あるいは軍事顧問団派遣などの行為による介入が行われ、それが事態を複雑化させエスカレートさせてゆくと云う経過を辿りがちなのである。

中東やアフリカに頻発する紛争の背景には植民地統治と云う遠因が存在していることも忘れてはならないことである。植民地統治の原則というものは、植民地支配者が懐柔した少数派《少数派民族、少数派宗教、少数派言語》による傀儡政権で多数派を抑圧統治すると云う、植民地民族分断政策にあったことである。その長い歴史のなかでの王制や少数派専制支配を容認する支配民族分断統治政策が、今日の紛争の一つの大きな遠因として存在しているのである。

日本の国益は中東の安定にあるという議論が存在する。原油輸送路であるホルムズ海峡や南シナ海の安全こそが、日本の死活的課題で有ると云う議論が存在する。 それでも考えてみてほしいのである。日本が輸入する原油の多くはアラブ王制国家や首長制国家から届いていると云う事実を忘れたふりをしてほしくないのである。《だからどうすると言われても、直ちにどうにかできることではない。それでも記憶の底に留めていることが大切だと考えるのである。》

《テロと戦争》
アメリカ、フランスなどの有志国連合は、シリア、イラクの過激派組織・ISILの支配地域を空爆している。これは宣戦布告無き戦争ではないのか。《有志国連合や国際社会はISILを国家としては認めていない。》 爆撃機やミサイルを用いる破壊は間違いも無く戦争であろう。有志国連合とロシアによる空爆行為は戦闘行為なのであり、空爆される側もテロという行為で反撃しているとも考えられる。《自爆テロではなく、ミサイルやドローンによる反撃であれば如何なものであろうか?》

大義がどちら側に有るかは、この際は問わない。戦争の大義などと云うものは、所詮は後付け講釈であり、国益とか国際利害で左右されるものであり、無関係な市民を巻き込む武力破壊に大義など無いのであり、勝てば官軍なのである。

《あなたの思考の参考になるかもしれない 幾つかのiNet記事》

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