雑木林晩秋

普通、屋敷林と云えば家屋の北側に防風林を兼ねて存在するものである。我が家の様々な木々でつくられる屋敷林は幾つかの事情があって、家屋の南側に位置している。家屋の南側と云っても、家屋とのあいだには果樹畑があるから、木陰が建物にかかるというわけではない。そのさほど広くもない屋敷林が、年に一度の景観を見せてくれている。

幾つかの事情というのは、一つは道路との位置関係である。敷地は概ね三角形の形状であり、北側に町道、東側と西側が河川なのである。もう一つは南側三角形にちかい場所に、私が生まれる前に亡くなった祖父が残していった遺物が存在している。そういったわけで雑木林《ぞうきばやし》は、敷地の南側に位置している。

古い写真を見れば、戦前には背の高い樹木はほとんどなく、広々としていたようであるが、戦後は日々の生活に追われて手入れをすることもなく荒れ果てていた。そこを帰郷した私が、休日毎に様々な樹木を植え、葦に埋もれていた池を修復し、下草を刈って今の姿に変えていったのである。全ての樹木を私が植えたわけではなく、八十年前に植えられた木が大きく成長したものもあるし、野鳥が運んできた種子が自生したものもある。

名前が判る主な木は、楓、杉、檜、楠、槙、欅、杜松、辛夷、薮椿、銀杏、山桜、大島桜、山茶花、ハゼ、アオキ、モッコク、ミズナラ、メタセコイア等々である。我が屋敷林は落葉樹と常緑樹が混在する雑木林《ぞうきばやし》であるから、この季節には朝な夕なに紅葉が映える景色を見せ、野鳥は鳴き声を聞かせて住人を楽しませてくれるのである。20151209ike

昨日は暖かい晴天だったから、西陽が射し込んで紅葉を引き立たせていた。この紅葉を来年も見るのだろうかと考えている。見ることが叶わないかもしれないけれど、たぶん見れるだろうなと考えている。そんなふうに先のことを思うようになったと云うことが即ち齢を重ねたと云うことなのであろう。

雑木林のなかを歩いていて、ふと父母のことを考えた。亡くなる前の十日間は寝たきりになった母を背負ってでも屋敷周りや雑木林のなかを歩き、彼女が慈しんだ庭や家廻りの畑にそれとなく別れを告げさせたかったと思うのである。父は三日ほどもない患いで亡くなったから、そんなゆとりは無かったけれど、病床の母を看まもるだけでなく、屋敷周りの散策をしてもらわなかったことを、いまさらに悔いるのである。
《12/11 昨夜は時ならぬ晩秋の嵐が到来し風雨が激しかった。今朝の雑木林は落ち葉が散り敷いて、この秋の終わりを告げていた。》
20151209kouyou

話変わって、東海地区二店目のCOSTCOが羽島インターの近くに開店した。開店当初は混雑しているだろうし、歳末近くになれば混雑も激しいだろうからと、昨日、様子を覗きに行ったのである。ウイークデーの午前中であれば混雑は少ないだろうと予想していたのだが、予想は外れだった。

県内ナンバーだけでなく、愛知県ナンバーや三重県ナンバーが半ばを占める車で駐車場は埋め尽くされていた。COSTCOは会員制の大型倉庫店だが、年寄り二人暮らしでは会員になるまでもなかろうと、知人から届いた一日招待券を持って行ったのであるが、会員登録をする人で長蛇の列である。店内も大混雑であった。一旦は列に並んでみたけれど、列の長さと列の進む遅さに、エスコート同伴した家人が音をあげてしまい、日を改めようと云うことになった。開店後二十日を経ても、我々のような様子見の見物客がまだまだ多いと云うことであろう。

しばらくは、店を出てくる客の列を眺めていたのだが、購入した商品をカートに満載してくる人は見られず、多くはロールパンやテッシュをまばらに載せて出てくるのみである。垣間見に過ぎないけれど、爆買いはインバウンドに限られることであり、国内消費は冷えているのだと思わされた。《後日に再訪したCOSTCOであるが、一巡して結局ロールパンと雑貨を購入しただけである。老夫婦だけの暮らしには購入単位が大き過ぎるし、食品は専門店やスーパーに限ると云うのが、ふたりの結論だった。》20151209costoco

帰り道に長良川堤防上から、雪をいただいた御岳山や乗鞍岳が遠くに眺められた。視線を巡らせて伊吹山を眺めたが、伊吹に雪は見えなかった。右が御岳、左が乗鞍岳である。20151209ontake

 

関連の記事


カテゴリー: 四季茫猿, 茫猿残日録 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください