CoCo壱番と静脈産業

廃棄物が転売されてしまったと云う「CoCo壱番」事件について考えている。同社が廃棄処分した冷凍食品が委託産廃業者から不正に転売され、一般流通していることが分かったと発表した事件である。異物混入のため廃棄したものであり、購入したり食べたりしないよう注意を公表している。廃棄物として扱われたことから温度管理など保存方法に問題がある可能性もあり、安全上、CoCo壱番屋以外で購入しないようにも呼び掛けている。
「CoCo壱番の公表文書 2016.01.14  及び  2016.01.15

鄙の管見だから考えていることの当否に自信は無いけれど、岡目八目とも云うから当たらずとも遠からずかもと考えて記事にする。

不良品の廃棄物処理を委託していた業者があろうことか、処分品を転売していたという事件である。不正に転売した処理業者が糾弾されなければならないことは云うまでもないが、市場に出てくるわけも無い商品が廉価に出まわっているからといって、転売ゲームに参加した中間業者、購入して店頭に並べたスーパーも同罪視して構わないであろう。知らなかったでは済まされないのである。バッタ物を扱う業者であれば犯罪の恐れもあることから、商品の出処に目配りするのは当然のことであり、安ければよかろうでは済まされないと考える。

安いには安いだけの理由が背景に存在するのが当たり前なのであり、安い理由に妥当性が有るのか無いのかを目利きする力が求められると考える。一円でも安い物をと追いかける消費性向がもたらした罪とも云える事件である。高ければよいと云うわけではないが、高いには高いだけの背景が有り、安いには安いだけの理由があるという目利きが消費者にも求められると云うことでもあろう。

この事件では被害者であるCoCo壱番であるが、廃棄物処理にまつわる風評被害も懸念されており、お気の毒とも云える。 だけど見過ごされていることが一つある。 処理費用を払った廃棄物が転売されていたということは、常習性の疑いある業者と不用意に取引していたと云うことである。そこには静脈産業を一段低く見る潜在意識があったのではと、勘繰りが否定できないのである。そこには納品業者には検品を厳しくするが、廃棄処理業者には渡してお仕舞いという、なにやら根深いものを感じる。

僅かな異物混入の疑いがあるから、疑いのある工程で製造された全品を廃棄処分したCoCo壱番の企業姿勢は見事である。しかしながら、惜しむらくは詰めを怠ったとも云えるのである。

この事件の見過ごされている根幹は、廃棄物処理と云う静脈産業における「インボイスとトレーサビリテイ」が機能していなかったということである。CoCo壱番には酷な言い方になるが、不正処理されかねない廃棄物を出した企業としては、最終処理までの目配りが求められると云うことであろう。

当然のことながら、「インボイスとトレーサビリテイ」に万全を期そうと考えれば、そこは手間暇かかるものであり引き取り処分対価も割高になるであろう。そして、その費用は直接に利益を生むものではない。そこにいい加減な悪徳業者が介在する隙が生じるのである。ここにも目先のコスト優先主義の弊害が現れているといえよう。

不法投棄や不正輸出問題などが発生する産業廃棄物処理は、廃棄物発生者責任を貫徹させるべきであり、経費削減などの企業要求に惑わされてはならないのである。臭いものに蓋的な発想は今や許されないと考えるべきであろう。

『スキーツアー・バス事故』
15日に発生したスキーツアーバス事故にも似たようなことが云える。不幸にして事故に遭遇し亡くなられたり怪我を負われた方には同情するし、お見舞いする。痛ましいことである。 しかし、ネットでツアー客を募集し、バスの手配業者を介在させてバス会社に運行を委託すると云うシステムには疑問を感じるのである。旅行企画業者とバス運行業者とのあいだには確かな委託契約関係と信頼関係がなければならない。そこへ仲介する手配業者が介在すれば、「より安いバスを選ぶ」という働きが発生することは自明であろう。何よりもより安い運行業者を探そうとするから仲介手配業者が介在するのであろう。

健康診断を受診し、経験が豊富な運転士を代替者も含めて準備しようとすれば、相応の経費が発生するのが当然である。安い給料で雇われて、デジタルタコグラフ《運行記録計》が装備されていないバスに乗務すれば、有料道路ではなく一般道を利用して通行料を浮かそうと考えることもあるだろう。

爆買いツアーの蔓延などでバス不足が生じていることも背景にあると報道されているけれど、無いものは無いのであり、不良バスが存在してよい理由にはならないのである。

一義的に責められるのは、旅行業者でありバス運行業者であるが、人命に関わる事がらについて安易に規制緩和した為政者の責任は、もっと問われて然るべきで有ろうと考えるのである。人であれ貨物であれ、安易に規制緩和した結果は、運転士にしわ寄せされているのが実情であれば、「当局は存じません。業者の責任です。」と、口を拭っていることは許されないと考える。

一円でも安くと云う似非合理主義は、人々の経済活動の先に大きな落とし穴が待ち構えているのだという「此の世の理《ことわり》」に、今一度目を向けるべき時であろうと考える。合理主義とか効率主義などというものは、目先の利益を優先して事足りるものではないのである。人命は何よりも尊重されなければならないし、目先の効率優先は回復不可能な損失を招く場合もあると肝に銘じるべきであろう。 無用の用の如き存在が危急の際に役立つのであり、遊びの無い歯車は廻らないのである。

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