雪中梅・母のセータ

南国沖縄や奄美でも雪や霙《あられ》が舞うほどの寒波である。豪雪を伝えられる日本海側地方や飛騨・奥美濃地方の方には申し訳ないが、この冬二度目の降雪を楽しんでいる。未明から降り始めた雪は二十日の雪よりもやや深く、七cm程度の降雪量である。室内気温も起床時の午前六時には零度を示していた。

母屋と離れのあいだの通路の雪かきをしたあとで、今朝の雪景色を撮りに畑や雑木林に出てみた。裸枝に雪を載せた我が鄙桜も雪の朝ならでの風情である。鄙雪桜とでもいえようか。20160125hinazakula

雪の日には、なんといってもこれである。雪を載せた紅梅。このサイトのヘッダー・テーマ画像にも用いているから、折々に現れるが、これは今朝の雪中梅である。20160125setyuubai

雪はまだ降り続いている。雪を掃き除いた通路も、すぐに白くなった。暖冬を騒がれた日本列島も厳寒のさなかである。照り降り曇る空の移ろい。厳しき寒のなかなれど、やがてほのぼのと暖あり、いずれ暑激しく、また涼さわやかな日めぐる四季の移ろいを楽しむ今の茫猿である。

音も無く降る雪に化粧する冬桜を眺めつつ、やがてと云う間もなく訪れてくるだろう鄙桜の季節を待つ茫猿である。雪桜に静かに舞い降りる雪は、散る花びらにも似ている。今やともに観ることの叶わぬ人たちのことを偲び、離れて暮らす縁者たちのことを思いつつ、こんな由無しごとを書き連ねている。

明日あると思う仇し心とは知っている。なんども知らされてきたのに、それでも”明日を待つ”心が捨てきれない。いいや、捨てようとも思わず、知らず知らずに明日を思い描いている。度し難きは”この仇し心”である。でもこの”仇し心”あればこそ、今日を生きようと思えるのであろう。 いやはや然は然り乍らである。

絵になる鄙雪桜はやはりこちらだろう。11:00の鄙桜、雪はあがり青空が広がってきた。20160125yukisakura

鄙里の雪景色を見れば、常に思い出すことがある。それは母が遺したセータのことである。編み物が得意だった母は、自分のものや夫のもの、妹《叔母》たちのもの、なによりも孫たちのものを編むのが、老いてからは冬のつれづれの日課だった。私にもセータとベストを編んでくれたのは、私が五十の半ばを過ぎた頃だったろうか。 現役の頃にはセータを着る機会など多くはなかったけれど、いつしかセータは着古されていた。

五月《2010.05.08》に母が亡くなり、その年の暮れ《2010.12.02》に父が亡くなり、翌年に父の七七忌を終えたあとの雪の日《2011.01.17》、ふと思い出してセータをクローゼットに探した時のことである。着古され毛玉が目立っていたはずのセータは、いつの間にやら編み直されデザインも新しくなって現れた。病をおして編んでいてくれたのであろう。癌の告知を受けた身で何を考えながら、着古した倅のセータをときほどき洗い直し編んでいたのだろうかと思えば言葉も無かった。

何も知らなかったし、母も何も言わなかった。知らなかったこととはいえ、生前に礼のひと言も伝えることができなかった親不幸を詫びながら、母の遺影に向かいて深々と頭を垂れて礼を言いました。寒くほの暗い床の間に並んでいる母と父の遺影と骨壺の前で、しばらく動けなかったことを今も思い出す。

もうじぶんの身体が衰えて手元も覚束無かっただろうに、自分の病のこと行く末のことを考えないわけでもなかろうに、六十も半ばになった倅の古いセータを編み直している、秋深まる頃《2009.11?〜2010.02?》の老いた母の姿が憶い浮かぶのである。多分、母の最後の作品であろう彼女の遺したセータは私の宝ものであり、私の戒めというよりは道しるべなのである。この齢になって、母の最後の手作りを身にまとえる幸せを思い、大事にだいじに着ている。

 

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