春はあけぼの

立春の早朝である。心なしか日ざしに温もりを感じる朝である。


先月末に義理叔父《母の妹の連れ合い》が亡くなり、葬儀に連なったのであるが、その折に風邪を拾ったようで数日寝込んだ。二日間は食事も摂れなかったが、この前にそんな病臥に伏したのは何時のことだったか判らないほど、久しぶりの発熱だった。昨日からほぼ日常に戻っているが、何処とも無く感じる違和感は払拭できていない。この回復の遅さも加齢の故なのであろう。

窓の外に「春はあけぼの」の風景を切りとってみる。影絵に写る木立はコブシである。あと二十日もすれば白い花が開き始めるだろう。20160204akebono

上空を見上げれば、ほのかに明けそめてくる東空高く下弦の月が見えている。立春の朝の月である。もうしばらくすれば、陽の光のなかに埋もれてしまう月でもある。20160204tuki

この頃は、「鄙からの発信」記事の末尾に表示される「関連する記事」を拾い読みすることが多くなった。去年の今ごろは何を考えていたかなどと過去を掘り返したり、一昨年の桜はどんなだったかなどと振り返ったりするのである。

それもこれも「ふるさとへ 廻る六部は 気の弱り」なのであろう。《六部とは巡礼僧ともいえない巡り人のことである》 葬式と云えば、年毎に通夜と葬儀に長時間連なることが億劫になってきた。若い頃に親爺ほど齢の離れた先輩から、「老いてからの健康の秘訣は、恥をかく、見栄をかく、義理を欠くだよ、森島クン」と言われたことを思い出す。

先日も斎場にいるうちは、さほどに苦痛でもなかったが、斎苑までお供をして寒風にあたったり、骨上げを待つ間のソファーでうたた寝したりしたことから、体調を崩したのだと気づかされている。ほどほどに「義理を欠く」ことも躊躇してはいけないのだと思っているが、然は然り乍ら、なかなか容易なことでもない。

その掘り返した記事のなかから。『代悲白頭翁』 劉廷芝(唐詩選)を抜粋してみる。
有名なのは、この対句である。
「 年年歳歳花相似 歳歳年年人不同 」
しかしながら、重いのはこの後に続く対句である。白頭翁の哀しみはなにをもって癒せと云うのであろうか。今を昔に還す”よすが”など、何処にもありゃしない。
「 一朝臥病無相識 三春行楽在誰辺 」

床に臥せっていて、幾たりかの顔に会いたいと思うのだが、いずれも今や会えない人ばかりである。父母も中村も村北も会うこと叶わない人ばかりである。会えることの出来る人に会いたいという気持ちが起きてこないのも、不思議なことである。

然は然り乍ら、春はあけぼのなのであろう。 今朝は野良にフキノトウでも探してみるか。

《追記》
フキノトウはまだまだだった。小さな蕾も見えなかった。 代わりに、この数日の間に梅が咲き始めていた。早生種は七分咲き、奥手はつぼみ膨らむほどである。風邪の後遺症か鼻が利かないから香りを楽しめないのが無念である。 さてと、梅は咲いたか 桜はまだかいな 《続いて》柳なよなよ風次第 山吹や浮気で 色ばっかり しょんがいな。20160204ume20160204ume2

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