本日、茫猿は申歳六巡目を迎えた。誕生日など誰も祝ってくれなくなり、目出度くもなくなってから久しいことになるが、五巡目還暦の年には些かの感慨をこのサイトに記していた。次の七巡目を無事に迎えることができるだろうかと思えば、その確率は年毎に低くなっていると自覚せざるを得ない申歳六巡目でもある。
五巡目還暦の時には何を記しているのかと、過去記事を覗いてみた。
還暦初日のご挨拶2004年1月1日)
※この年は岐阜県不動産鑑定士協会25周年記念事業に関わっており、記念事業・記念式典などの準備について記しているが、なかでも士協会に光ファイバー利用のVPNの導入を企画しており、GISを利用した取引価格情報開示制度への対応にも言及している。昨今の普及進展状況を思えば隔世の感がある。
※個人的には既に退隠後の準備に言及しており、如何に死ぬかを折々に考えながら、歯、眼、鼻、耳、舌が達者で、今の触覚で、視覚で、嗅覚で、聴覚で、味覚で、食したいものを、共に食したい人と、食したい時に味わえる、至福の食事は後何回得られるだろうかなどと記している。12年を経て抜け落ちた奥歯が2本、インプラントに変わった歯が2本である。右目と右耳の衰えは如何ともし難いものがあるし、嗅覚も味覚もかつての頃よりは衰えを自覚せざるを得ない。
※鉄道模型(ジオラマ)の新しい構築にもふれているし、陋屋雑木林の池についても、石垣を積み直し、池を巡る巡路の整備もしたいと記している。ジオラマはその後に誕生した孫がやってきた時のプラレール遊び場確保のために、しばらくはお預けとばかりに撤去してから二年になるが、孫の成長とともに復興を考え始める頃となってきた。池廻りの擁壁や巡路整備は最近に工事を終えることができた。
ついこのあいだのことのように思える十二年前の記事であるが、十二年と云う歳月はやはり一昔前のことのようである。《十二年のあいだに父母が居なくなり、老妻との気儘暮らしが戻ってきている。》
六巡目申歳とは云っても、特段の感慨は無い。老境がそれだけ深まったというだけのことである。 今年の元旦に記したように、健康な身体を与えてくれた両親に感謝しつつ、昨日に変わらぬ晴耕雨読の日々を閑かに凪のごとく過ごしてゆければ、それ以上なにを望むことがあろうかと考える六巡目申歳の誕生日なのである。
雑木林のなかの実生の椿が、初めての蕾をつけた。どんな花を開くのか楽しみである。
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