一週間ほど更新を休んでいた。未完の硬派系原稿が八本ほど保存済みであるのだが、なぜか書き綴る気がしないのである。このところ晴天が続いているから畑仕事に追われていて、身体が疲れているせいもある。《野良仕事は汗をかく、汗が目に入れば目が疲れる。疲れた目でモニターを見れば、もともと具合いの悪い右目がなお痛むのである。》
何よりも、退隠した年寄りがいまさらに、中古住宅市場とか、鑑定士の建物インスペクション・スキルとか、メデイアとのつき合い方、あるいはソーシャル・インパクトなどと書き綴っても如何なものだろうかと云う思いが離れないのである。そのうちに掲載してみる気になったら書き綴るとして、本日は草深包丁・分葱編なのである。
「分葱」、わけぎのことである。分葱とは葱とエシャロットの雑種である球根性多年草である。畑の隅に植えておくと、なにかと便利な野菜である。秋冬の間は重宝した分葱が、葉先を枯れさせ球根を表わしてきていたので、収穫したら思いのほかたくさんだったのである。
良さそうな球根を選んで夏過ぎに植え付ける種としたものの、大量に残った球根の使い道にしばらく悩んだのである。昨夜、一部を湯通ししてから酢味噌で和えて食してみたところ結構イケルのである。そこで残りの球根を麹味噌に漬け込んでみることとしたのである。
分葱を洗い、水切りをしてから、軽く塩をふって数時間おいておく。水が上がってきたら塩水を切って麹味噌に漬け込もうと云うのである。写真は洗い掃除をして塩ふりした分葱である。
麹味噌は、冷凍保存してあった酒粕に焼酎を加え、赤味噌と麦味噌をあわせて作る。この麹味噌に塩でしめた分葱球根を漬け込もうと云うのである。数日もすれば食べごろになるだろうと考えている。うまく出来上がったら、サイトで報告するつもりである。《分葱はプランターでも簡単に栽培できるし、あれば便利な野菜である。》
ようやくに、サツキが咲き始めたが、ヒラドと違って一斉に咲かずマバラに咲いている。原因がよく判らない。病気のようにも見えないから肥料が不足しているのかもしれない。手前のサツキは六分咲き程度であるが後ろのサツキはまだこれからである。
庭先でふと足下を見たら、黄色いものが目に入った。よく見れば直径1cmにも満たない小さな花である。名前は知らないけれど繁殖力旺盛で迷惑な野草である。写真を撮ってから引き抜いた。
暖かくなったので、瓶の睡蓮が緑を増し、白めだかが水面を泳ぐようになった。
こちらは別の瓶に入れてある黒めだかである。ノンビリしている白めだかに較べて、クロは警戒心も強い。カメラを少し動かせば素早く潜り込んでゆく。
快晴の昼下がり、窓を開けて風を入れている。窓の外は葉桜となった鄙桜が風に揺れている。小さな赤い実も見えている。花の頃は窓を開け放つのは寒いが、この季節ともなれば葉桜を揺らす風が心地よいのである。
《2016.05.23 0:24 追記》南空中空に満月が輝いている。月の右下側に火星が光っている。五月の夜空は快晴にもかかわらず、何となくもやっているのが此の季節らしい。月明かりの下、初夏の深更のそぞろ歩きを楽しんでみた。本日のNHKスペシャル・人生の終い方で、50年間続いた”笑点”の出演を終えた歌丸師匠が、「人生の終い方を考えると云うことは、終いに到るまでの生き方を考えるということ。」と語っていた。終い(しまい)方すなわち何かを遺せるかと考えてみれば、佳き思い出を残し、佳く思い出してほしいと云うことではなかろうか。すなわち終いに至るまでどのように生きるかに尽きるのであろう。
《2016.05.25 追記》分葱の麹味噌漬けは、こんな具合に仕上がりました。分葱球根の辛味が麹の甘さと合わせ味噌の風味で調和され、好き嫌いはあるでしょうが結構な箸休めに仕上がりました。 ちなみに、家人は遠慮すると申しております。
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