アスリート鑑定士&造林鑑定士

異色の不動産鑑定士お二人の話題である。異色と云うのも茫猿がそう感じているだけである。ご当人方は生涯を懸ける趣味に打ち込んでいるだけであり、半ばは鑑定士リタイア後を見据えていると云うか、既にその境地に浸っているお二人なのである。

《アスリート不動産鑑定士》
先ずは、アスリート鑑定士宮本吉豊氏である。彼は長野県上田市に鑑定事務所を構えている。大河ドラマ”真田丸”で脚光を浴びている上田市である。彼が陸上競技《跳躍》に目覚めたのは四十半ばを過ぎてからのことと伺う。それまでは鑑定評価業務の傍ら、もっぱらバレーボールに打ち込んでいたと云う。それがどうして陸上競技・走り幅跳び、走り高跳び、そして三段跳びに打ち込むことになったのかは聞いていない。

彼が陸上競技に目覚め、マスターズ陸上競技会に参加するようになってから、既に十数年が経つという。今ではマスターズM60クラス競技会でトップクラスの成績を挙げている。昨年十月に岐阜市で開催された全日本マスターズ競技会M60クラスでも見事に優勝を勝ち得ている。《M60とは60歳以上65歳までのクラスである。マスターズ競技は五歳きざみで競技クラスが区分されている。》

今日は昨夜来の小雨が降るなかで、多治見市で開催された東海マスターズに彼は出場したのである。本稿後半で伝える造林鑑定士を表敬訪問することも兼ねて、茫猿は応援のために多治見市に向かったのである。

まだ小雨が降り止まぬなか、午前9:30から走り高跳び競技が始まるのである。雨のなかのハイジャンプは辛いものがあると彼は言う。雨に濡れるのは構わないがバーを越えたのならまだしも、落ちるバーと一緒に着地緩衝マットに落下すると、マットに溜まった雨水が飛沫を上げ、自らも背中から水たまりに落ちるのは辛いものがあると言う。20160605miyamoto2

今日は小雨だったし、競技委員の方が頻繁にたまった雨水を流していたから、遠目には飛沫までは見えなかったが。背中はずぶ濡れになっていたことだろうと思われる。20160605miyamoto

競技の結果であるが、最後まで残る競技者となった彼は、M60クラスの大会記録を更新する1m53をクリアし、1m55に挑戦したが及ばなかった。もちろん優勝である。競技終了後の宮本氏とスタンドでしばし歓談し、午後の競技である三段跳びに備えてウオーミングアップを始める彼と別れ、茫猿は造林鑑定士のお宅へ向ったのである。

《造林不動産鑑定士》
造林鑑定士とお呼びするのは、ご本人にとっては抵抗があるかもしれない。造園鑑定士なのかもしれない。あるいは里山愛好鑑定士と御呼びした方が適当かもしれない。そして今や、環境修景鑑定士へと変貌しつつあるとも云えるようである。

造林鑑定士とは、多治見市に居住し義父の創設した事務所を継承している加藤誠治氏のことである。十年ほど前から自宅周辺の里山《半分は都市近郊の里山であり、半分は昭和四十年代に開発された住宅団地に続く一部は宅地見込み地でもある緩傾斜地である。》を買い求め、その広さは既に1ヘクタール前後に及んでいると云う。

シイ、カシ、ナラ、カエデ、サクラ、マツ、スギなどの様々な木々が生い茂る山林を、時間があれば動力鎌を用いて切り払い、下枝を落として、自宅に続く里山を日毎整えているのである。今日も茫猿が訪れたときは、ノコギリやハサミを腰に下げて汗をかいている真っ最中だった。彼の案内で雨上がりの風が抜けてゆく山林を歩くのは、とても気分が佳いものだった。

「なぜこんなことを始めたのかと問われても、確かな答えは持ち合わせていません。自宅の周りの荒れた雑木林を修景したいという思いから始まったことです。還暦を過ぎた者の生涯を懸けた道楽だと自認しています。」と、彼は言う。

それでも、汗をかきながら、下草を刈り取り、下枝を刈り払って、見通しのよくなった林を抜けてゆく風に吹かれていると「至福とも言える、気持ちよさです。これは汗を流した者にしか判らないでしょう。」とも言う。茫猿はその気持ちがわかるのである。見通しを良くした林を抜けてゆく風が、汗に濡れた肌を乾かしてゆく気持ちよさは、体験者にしかわからないものがある。里山は今のままでも佳かろうが、実のなる木を増やし、水場を設ければ、野鳥の楽園にもなるだろうと、お節介なことも考えた。

彼の十年余に及ぶ、一見しただけでは奇異にも見えるこうした地道な活動は、地域を変えつつあるようだ。彼と同じように自宅敷地の植栽を整えたり、隣接する荒れた雑木林地を修景したりする住民が増えているのである。彼自身が修景を依頼されている周辺画地もある。

まだ手つかずの雑木林地(未利用画地)も多いけれど、十年余も前に彼の自宅を訪問した頃に受けた地域の印象とは、様変わりともいえる印象を今回の訪問で抱いたのである。環境修景鑑定士と敬意を込めてお呼びする由縁なのである。環境修景に熱心なあまりに、自宅玄関先の芝庭が、些か荒れ模様なのはご愛敬なのだろう。《ところで、そんな加藤氏であるが、上乗せドリップ・珈琲の入れ方をご存じなかった。典型的な昭和世代・旧型ご亭主なのである。これもご愛敬か!!》

彼は、買い求めた自宅隣接地を整地して、コテージを増築している。コテージと云っても小屋ではなく離れ家と云った方がよいだろう。《ご本人は”庵”と称されている。庵の名前はまだ無いようである。》

檜造りの内装、床暖房、中央にアイランドタイプ・システムキッチンを備えた広いリビングルーム、二階には来客用のベッドルームに加えてメザニン《中二階の張り出し部屋》も設けてある。広いバス・トイレ完備の独立住宅に遜色の無い機能と広さの建物である。それに加えて”にじり口”や”水屋”も備えた茶席用座敷も設けている。織部や志野茶碗で有名な陶都・多治見ならではのお洒落な離れ家なのである。

加藤さんからお許しをいただきましたので、「庵・離れ家」の写真を掲載します。実は奥様がお留守だったので、仰々しい撮影は遠慮していました。日を改めて奥様のお手前や茶室などを詳しく紹介する機会を得たいと思っています。修景作業についても詳しく紹介したいと思っています。先ずは「庵・離れ家」の正面です。20160606iori-zennkei

庵の側面、枝折り戸の向こうに茶席へのにじり口が見えます。20160606iori-nijiri座敷、床の間
20160606tokoリビングとメザニン20160606mezanin

さらに、この離れ家は床暖房や給湯に”薪ボイラー”を用いている。彼が汗を流して徐伐した樹木や切り落とした下枝は、薪ボイラーの燃料として利用され尽くすのである。自宅周囲の修景作業はボイラー燃料を産み出すのである。先にふれた広さの里山を確保しているから、彼は生涯、離れ家の暖房・給湯燃料に事欠くことは無いだろう。

様々な生き方がある。それぞれの生き方は余人にはうかがい知れない楽しみや、広がりや、深みがあることだろうと思われる。それぞれの生き方を羨ましく思うこともあるが、茫猿には茫猿の生き方があるとも思える。桜守りであり、畑守りであり、サツキ盆栽守りでもある我が生き方もまた”佳き哉、楽しき哉”と思いつつ帰途につくのである。

今日は昼食に”す奈波”に立ち寄った。現役の頃に多治見に行けば、三回に二回は立ち寄った手打ちうどん店である。相変わらず繁盛しているお店でいただいたのは、茫猿には定番の”天ころ大盛”である。エビ天は心なしか小さくなっていたが、うどんは以前に変わらぬ腰の強さと喉越しの滑らかさを維持していた。《以前はエビ天の両端が丼からはみ出していたように記憶する。》20160605udon

日曜日の昼過ぎなのに、空席を待つお客は店の外にあふれている。20160605sunaha

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