都知事選挙・お盆的総括

東京都知事選挙が終わって二週間が経った。敗者側の候補者二人、一人は突如登場し敗れた鳥越俊太郎氏、もう一人は闘わずして敗れた宇都宮健児氏が、敗者の弁をネットに述べている。お二人の弁を引用しつつ茫猿なりの私的なお盆的総括をしてみる。

「鳥越俊太郎氏の敗者の弁」《Huffingtonpost.jp》
「ペンの力って今、ダメじゃん。だから選挙で訴えた」   (前編)
「戦後社会は落ちるところまで落ちた」(後編)

「宇都宮健児氏の不戦敗の弁」《Huffingtonpost.jp》
「日本の市民運動はもっと利口になれ」

大喜利的に都知事選挙全体を総括してみれば、
当選した《小池候補》
イジメる自民党都議団に単身抗う女性・ジャンヌダルクというイメージを最大限活用して、判官びいきの無党派票を獲得した。勝因はこの一事に尽きるだろう。
次点の《増田候補》
岩手県知事経験を前面に押し出したが、実務者イメージまではともかくとして、失礼ながら人口132万人の過疎高齢化県の知事経験であり、公共投資・箱物行政依存型知事のイメージから抜けきれなかった。人口1360万人・五輪開催地の知事イメージには遠かった。

さて《鳥越候補》である。
鳥越氏が都知事選挙に出馬すると聞いた時に、まず違和感を感じた。なにか違うと思ったというよりも、老いたり鳥越氏と思った。 国政選挙ではなく都知事選挙なのである。それなのに鳥越氏は、参議院選挙で”改憲勢力”が三分の二を越えたから”都知事選挙”に出るのだと云う。しかも都政についてはこれから勉強すると云う。東京都民でなくとも「何を言っているのだ」と思うことであろう。

都知事は改憲問題や戦争法制について言及するなと云うのではない。先ずは東京都政の改革であり都民の生活向上であろう。その上で都政から国政にもの申すというのが順序ではなかろうかと考えるのである。都知事選挙を自らの主義主張を拡散する場に使おうと云うのであれば、泡沫候補ならばともかく、それは違うのである。

76歳と云う年齢も、癌闘病経験もその影響には個人差があろうからあえて言及しない。しかし自らが出馬する選挙について、その選挙民にとっての課題や関心事について語らない。語らないだけでなく「不勉強です、当選してから考えます」では、はなから土俵に上がろうとしていないのである。

私事では有るが、今から二十年近く前に、茫猿は日本不動産鑑定協会・会長選挙に出馬した経験がある。看板不足(茫猿の全国会理事経験2年 Vs 現役の会長)、地盤不足(会員数50名の岐阜県を地元会とする茫猿 Vs 会員数2000名の東京都を地元とする相手候補者)、カバン不足(零細事務所代表者 Vs 上場企業代表者)。 看板、地盤、カバンのいずれをとっても勝ち目など何処にも見えない選挙だった。

選挙告示の二ヶ月前まで、茫猿は現役候補の対立候補を支援する側の末席にいた。それがどのような経過からか今もって不明であるが(密室協議)、突如無投票選挙が確定しそうになったのである。茫猿は無投票選挙阻止を掲げ全国行脚をして、自らの鑑定業界改革の企画案を全国の鑑定士に伝えることに意味有りと考えて立候補したのである。

当落は二の次と云うよりも当選を望み得る環境ではなかったが、それでも選挙公約には、不動産センサス(悉皆調査実施)、有機的な会員ネットワーク構築(ReaNet)、地理情報基盤の整備(ReaMap)という具体的目標を掲げて、鹿児島から仙台まで二十日間の全国行脚をした。各地の有形無形の支援をいただき、当選には至らなかったが相手候補の半分の支持を頂いた。公約の三項目は選挙のための思いつきなどではなくて、岐阜会会長経験などを踏まえているのものであり、岐阜を中心にしてそれなりの実績を有しているものであった。

選挙結果は当選者の半分近く、有効投票数の四分の一近くの票を得た。全国10ブロック中、地方の5ブロック(東北会、北陸会、中部会、中国会、四国会)で三名の候補者中最多の支持を頂いたのである。《大票田の東京会、関東甲信会、近畿会では遠く及ばず、遠隔の九州会、北海道会へは浸透できずである。最大の頼みの綱としたネット広報・「鄙からの発信」はあまりにも時期尚早であった。1999年当時ではインターネット未接続会員が大多数だったのである。》

自らのささやかな経験などを殊更に言揚げしようというのではない。都知事選挙を何と思っているのだと云うのが、多くの都民の思いであろうと云うのである。「年寄りの冷や水」という表現が鳥越氏の出馬にもっともふさわしいのであろう。あとは総て負け犬の遠吠えであろう。

選挙に出馬すると云うことは、当選してから成し遂げたい目標あってのことである。東京都の財政力と13百万東京都民と東京都職員二十万人の総力を挙げて実現したい目標あればこその出馬なのである。知事に当選すると云うことは、それら総てを動かすことが可能な権力を得ると云うことなのである。

そして《宇都宮候補》である。
彼は猪瀬候補と争い、舛添候補と争い、いずれも次点に終わったが90万票を得ている。彼を野党統一候補に押し上げなかった野党協力とはいったいなんであったか。最も問われるのは民進党であり、次に問われるのは共産党なのであろう。

宇都宮候補が出馬を取りやめた最大の原因は、支援者の股裂き状況だったと彼は言う。「無党派の中でも分裂と感情的な対立が生まれ、これからの運動によくない影響を与えるんじゃないか。ずっと続けてきた運動を守りたい、前進させたいという思いと、保守分裂の中で(野党が分裂して)保守を利するわけにいかないという思いが決断の理由ですね。」と宇都宮氏は述べる。これについては、茫猿にも淡い後悔が残っている。

先の述べた会長選挙の二年後、茫猿は再出馬を検討した。しかし、支援者の一部は再出馬を求めたが、多くの支援者は会長選挙は断念して副会長選挙などに出馬を勧めるのである。 その最大の要因は、前回はこちらに勝ち目が見えない選挙だから、組織の締め付けは緩かった。しかし、今回は違う。茫猿の勝ち目が幾許かは見えているから、組織の締め付けがとても厳しくなると彼等は言うのである。

鑑定業界には幾つかの大規模組織が存在している。全国展開する鑑定事務所、上場企業を母体とする鑑定事務所、それらと有形無形につながる全国の個人事務所などが存在している。茫猿の支援者の多くはそれらの組織と何らかの関係を有している人たちが少なくないから、前回と同様の構図になれば、彼等自身が股裂き状態になる、それはとても耐えられないと言うのである。といって、副会長選挙への出馬は、茫猿自身にとって様々の地縁的障害《選挙区割り》、人の縁的な障害《予想されている対立候補》が多かったのである。 また一ヶ月余の選挙期間中の事務所運営、選挙活動費用の捻出も難しい問題だった。

だから音無しとなったのであるが、その後の様々な業界活動を通じて、不動産センサスの実現、ネットワークの構築、地理情報基盤の整備には微力ではあるが持てる力を尽くしたと云う自負があるから悔いることは無いのである。《これらの活動に会長選挙出馬という経験と選挙結果は、大きなプラス影響をもたらしたと今も考えている。》

今回の都知事選挙を茫猿的に総括すれば、敗れた後の四年間が問われるのである。鳥越氏も宇都宮氏もこれから都政にどのように関わってゆくのか、どのように小池都政にもの申してゆくのかが問われていると考えている。尊敬する福井先生も久野氏も負けて後が大事なのだと言われるのである。

福井達雨先生はこう言われます。
『勝つこと、強くなることばかりを追い求めることは、負けた側弱い側を切り捨てることになります。 勝者がいれば敗者もいるのであり、一位がいるということは二位も三位もいるのです。 勝者が敗者について、強いことも弱いことも素敵なのだと、相手を思いやる優しい心を持つことが大切なのです。』 そして見えないものを大切になさいと言われます。

久野収氏はこう言われます。
『来る日来る日を今日限りとして生き尽くせ。 神は細部に宿る。 少しでも理想に向かうことが我々の勝利であり、どんな敗北の中からも民主主義完成の契機がある。 どんなに敗北を重ねても負けない自分がここにいる。それが人間の勝利であり、それ以外の勝利を考えるようになると組織や運動はもちろん、人間の堕落が始まる。』

《負け戦にかける》のであり、《負け続けることに意味がある》のである。

《追記》鄙里もお盆である。
浄土真宗では亡き人は浄土に迎えられているという教義から、迎え火も送り火も焚かない。だから茄子や胡瓜で作る迎え馬(精霊馬)も送り牛(精霊牛)も飾らない。仏壇と墓に花を飾り供物を供え、亡き人たちを偲ぶだけである。我が家ではこれから茫猿が導師となって、帰省した家族一同とともに正信偈を上げるのである。《お供えは岐阜の銘菓・鮎菓子五菓食べ較べ》201608130bon

《追記 その2》
祖先の霊をお迎えする目印として焚くのが迎え火、送る証しが送り火です。浄土真宗では宗派の教えとして、故人はすべて浄土に往生しているのであり、霊をお迎えするとは考えないので迎え火・送り火は行いません。だから祖霊の乗る迎え馬も送り牛も飾りません。お盆には花や菓子をお供えして亡き人を偲びます。

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