特に語ることもないが−2(原発と国策)

前号記事に続いて、語ることもない由無し事を綴っている。お暇であれば。


《国策と云うものに振り回される庶民》
昨日の深夜に「FNSドキュメンタリー大賞・出渕家の百年~国策と向き合って~
戦前、国策の農業移民で朝鮮に渡り、敗戦で全てを失った石川県小松市のある農家。その暮らしは戦後も、国の農業政策や自衛隊戦闘機の騒音で犠牲を強いられるものだった。」を見ていた。《地元の東海テレビでは08/30 02:15放映》

戦前に朝鮮半島へ農業移民として移住した背景、戦後無一物となり日本に引上げ開拓農民となるが政府の農業政策や米価政策に振り回され、今はスクランブルに飛び立つ自衛隊基地のジェット戦闘機の騒音被害に悩まされる。それは満州国に入植したが敗戦で引き揚げ、荒廃地を開拓して酪農を営んだものの乳価や酪農政策の転変に振り回された人たちと同じなのである。

茫猿自身も岐阜県蛭が野高原開拓者たちの辿った運命を垣間見た経験があるし、航空自衛隊各務原基地周辺の騒音問題を体験した経験がある。《タッチアンドゴー訓練時の騒音は凄まじいものがある。しかも土日は訓練が休みであるから、周辺の分譲地を土日に下見した入居者は、入居後に騒音の凄まじさを体験する。》

《日本の原子力政策》
「出渕家の百年」を見た後に、NHK解説スタジアム「どこに向かう 日本の原子力政策」
(2016/08/26 23:55〜0:49)という番組の存在を知った。再放送の予定はまだ示されていないので録画放映サイトを探したら dailymotion.comなるサイトにアップされていたので観たのである。《このサイトはいささか怪しげなサイトであるが、怪しげな動画を観ていて気づいたのではないことを、あえて申し添えておく。》

編集の無い生放送であったせいか、NHKにしてはずいぶんと踏み込んだ内容であった。
詳しくはdailymotion.com「どこに向かう日本の原子力政策」を観ていただきたい。しかしNHKの解説委員としての習い性がなさせるのであろうか、いささか隔靴掻痒の感が拭いきれないのである。というよりも、テーマが大きすぎて、広すぎて、一時間では満足な掘り下げができなかったと云うべきであろうか。

取り上げられたテーマの順を追って、茫猿なりのツッコミを試みてみる。
《原子力発電所の再稼動》
再稼動を論じる時に、大事なことはリスク管理である。福島原発メルトダウンと云う過酷災害を経験した日本で原発を再稼動させるには、地震・津波・火山などによる被災に備える危機管理が最も重要である。再稼動を審査する原子力規制委員会は安全基準に適合しているか否かを審査するが、そのことは原発の安全性を保証するものではないと述べている。言い換えれば、何処までいったとしても原発の安全性というものは保証できないのである。

《避難計画の杜撰さ》
であれば、想定でき得る事故発生に備えた危機管理システムの存在が重要であるのだが、危機管理のなかで最重要でもあろう周辺住民の避難計画は、規制委員会の審査対象とはなっていないのである。避難計画は立地自治体の自主性に任されているのであり、10km圏域の住民は即時避難、30km圏域の住民は一旦は屋内退避し、然るべき後に圏外避難とされているのが一般的である。

考えてみれば、いや考えるまでもなく、原発立地地域の全ては過疎高齢化地域である。立地地域と圏外地域を結ぶ道路は選択肢が多くない。鉄道は無いし海路も充実しているとはいえない。三陸津波や熊本地震で明らかなように、被災時においては道路が寸断されてしまうのであり、発災時刻にもよるが圏域内に壮年齢者がいることも少ないのである。平日の昼頃であれば、10km圏域内にいるのは高齢者と学童幼児だけという可能性も高いのである。また、30km圏域内住民が屋内退避せずに即座に避難行動に移るであろうことも充分に予想されることである。

山越えの陸路は崩落しているだろうし、ガソリンが切れた自動車は路肩に放置されているであろうし、狭い道路に事故車でもあれば道路は渋滞するであろう。高浜原発の再稼動停止仮処分も鹿児島県三反園知事が主張する川内原発の再稼動停止も、これらの避難計画の不備を指してのものであろう。我が鄙里だって、冬の季節風が厳しい時期に敦賀周辺の原発で事故が発生したら、北西季節風にのって放射能塵がやってくるまで、数時間を要しないことであろう。

《原子力行政の秘密性》
危機管理には情報開示がとても重要であるが、あまりにも公開されている情報が少ないのである。ハードの安全性も重要であるがリスク管理、なかでもリスクの最小化に関わる情報が少ない。何よりも最小化という視点から何が検討されているのか、何も開示されていない。

《再稼動のコスト》
再稼動を電力会社や政府が求めるのは、再稼動は見かけ上の発電コストが安いからである。電力会社にとっては停止中の原発は遊休資産であるが、再稼動は遊休資産の有効活用なのである。政府にとっては万が一のリスクを脇に置けば、電力会社の経営を安定させ、エネルギー政策の安定化と当面の低コスト化が図れるのである。福島発災後の五年間、電力供給は安定して推移してきたと云う事実は視野の外におかれている。

《核廃棄物処理》
原発の運転継続は放射能汚染廃棄物が増え続けることであるが、最終処分場については未だに何も決まらない状況にある。仮置き場も満杯が近いのである。福島原発の汚染処理廃棄物処分場も稼動していないし、福島原発の解体処分工程も未定である。再稼動と云う行為は、たかだか十年未満のあいだの政府と企業にとっての経済性を満たすだけのものであり、二十年後三十年後の在り様は想定外なのである。半減期まで十万年と云う放射能廃棄物を考える上で、十年も三十年も百年だって同じことなのであるという視点が欠落しているのである。

《プルトニウム》
日本が現在保有しているプルトニウムは、英仏に再処理を委託し一時保管も依頼しているのが37t、国内に保管しているのが10t(2014年)である。これは原爆にして五千発分に匹敵するともいわれ、非核保有国としては異例の多さである。核燃料サイクル計画による再処理であるが、高速増殖炉モンジュの破綻は核燃料サイクル計画も破綻させたのである。その時に、国内に積み上げられているプルトニウムをどうするのか、何も決められてはいない。 プルトニウムの保有は抑止力につながるなどという議論は論外であり、日本が潜在的核保有国で有ると云う海外の疑惑を増すだけであろう。

《国策とはなんぞや》
国策とは、その時代時代における国益追求策なのであろうが、時代時代において変転してゆく国益とは一体何ものであろうか。その存在を正確に指摘することはとても難しい。国策とか国益などというものの受益者は明らかな姿を現さないものである。受益者がその姿を現した瞬間に、受益の埒外におかれている多くの国民の怨嗟の的になることであろう。《姿が見えないわけは、コア受益者のまわりにトリクルダウン受益者らしき者が多数存在しており、コア受益者を隠しているからでもある。》

王道楽土・五族協和を夢見て満州国に送り出された農民も、朝鮮半島に移民した農民も、酪農や稲作や高原開拓や干拓地開拓に汗した人たちも、皆が国策に応じたのである。原発立地地域に居住する人たちも、日本のエネルギー安定供給と云う国策に応じて原発立地を受け入れたのである。

海外雄飛といいながら、当時の国内に安定した就業場所が存在しなかったという背景を見落とすわけにはゆかない。原発立地による地域開発と就業機会の提供という条件は、それ以外の選択肢がほとんどなかった僻地と云う立地条件を見落としてはならないのである。国策の受益者は姿が曖昧模糊としているが、国策に従った故の被害者は姿が明らかなのである。そこには都会と過疎地と云う、今も続いている相克が見えるのである。

《旅人にしてみれば緑豊かな癒される土地というものは、居住する人にしてみればコンビニも地下鉄も劇場も、就業機会や教育機会の選択肢も存在しない土地なのである。あらためて文明と文化の相克を考えさせられるのであり、それは時として二律背反というジレンマを思わせる。この頃問題視されている貧困児童の存在は、企業経営における労務コストの流動化を狙った労働条件の流動化がもたらしたと云える。 親世代の就業条件の不安定さが招いたものとも云えるのであり、これを自己責任と切り捨てるのはあまりにも酷であろう。》

《虫の声のほか何も聞こえない静けさと、吹き抜ける涼風を楽しみながら、茫猿はかくのごとき由無し事を考えている。鄙里とはいいながら新幹線駅にも高速道ICにも十分ほどの距離にある緑多き鄙里で、由無し事を思い煩える茫猿などはトリクルダウン受益者の端くれなのかもしれないという後ろめたさが消えないのである。台風は先ほど(08/30  18:00頃)大船渡市付近に上陸したとTVニュースが伝えている。》

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