白鬚神社縁起

今年11月から来年10月にかけては、四年に一度巡ってくる集落の氏神様祭典係当番にあたっている。 氏神は白髭《シラヒゲ》神社と云う。神社は1903年の大榑川締切りにより廃堤となった旧大榑川堤防跡《堤防小段》に鎮座している。創建がいつのことなのか詳しいことは何も知らないが、江戸中期から末期にかけての創建であろうと思われる。祭事は11月の新嘗祭に始まり、年末年始、2月下旬の祈年祭、夏の地蔵盆、秋の例祭と続くのである。そこで何も知らない氏神のことを少し調べてみた。

白鬚神社は滋賀県高島市鵜川に鎮座する白鬚神社を総本社とするようである。いつの頃にか村人が滋賀の白鬚神社から勧請分霊して現在地に祀ったものと思われる。滋賀県高島市の白鬚神社は湖中鳥居で有名なようである。

滋賀の白鬚神社HPなどによれば、御祭神は猿田彦命とある。猿田彦は古事記によれば天孫降臨の折りに天孫一行の道案内をした神とある。古事記は更に、この神の出自をいって「吾は国つ神」とあり、この国土にあって国民のための導きの神であったことを知らしめる。

神社本庁資料によれば、全国に分霊社が292社存在し、うち岐阜県には62社あり静岡県の64 社についで多い。ちなみに滋賀県には5社のみである。《以上は白鬚神社サイトなどよりの引用である。

さて、どうやら我が白鬚神社は天津神系(天孫降臨系)ではなく、国津神・産土神系であるようだ。とはいっても近世以降に創建されたと思われるから土着の伝承などは何もない。そこで神社の鎮座する下大榑新田《シモオオグレシンデン》の故事来歴を調べてみる。

下大榑新田が北に隣接する下大榑を本村とするのか、隣に開発された新田だから下大榑新田と名付けたのかは判らない。大榑という地名は平安時代の荘園名として古書に載っている。下大榑新田の地名が古書に登場するのは1645年の美濃国郷帳である。元和年間の新田開発に拠るものと思われる。元和年間(1615〜1624)とは大阪城陥落の頃のことである。下大榑新田は江戸時代を通じて幕府直轄領であり笠松代官所の支配を受けていた。《我が家の先祖は笠松代官所に仕えていた者の流れを汲んでいると、幼い頃に聞かされた記憶があるが、それを示すものは濃飛震災や度重なる水害、それに戦後の混乱で何も残されていない。》

北隣の下大榑地区には加毛神社という延喜式にも名前の出てくる由緒ある古社・加毛神社があり、古文書では本社白鬚太神とある。かつては下大榑新田地区も氏子であったが、いつの頃からか下大榑地区・加毛神社から別れ現在の白鬚神社を創建したようである。《以上、輪之内町史より》

なお、角川地名辞典によれば、下大榑新田は江戸期からの地名であり、元和年間の開発とある。また下大榑新田鎮守の白鬚神社縁起には「寛文三年五月吉日 願主下大榑新田惣氏子」とある。寛文3年は1664年である。

以上が我が氏神さんについて知りえた総てである。神社正面の鳥居には大正8年《1919年》奉納と云う刻字がおぼろげに読める。社殿や拝殿に来歴を示すものは何も無い。我が家に残る過去帳や墓碑銘などから下大榑新田の発祥は元禄《1700年前後》から文化文政《1800年前後》にかけての頃と考えていたが、どうやらもう少しさかのぼるようである。いずれにしても、耕地が整理され美田が広がる今の下大榑新田から当時を想像するのは適当ではない。幼少期《1950年頃》の記憶を辿ってみても、我が家の周辺には小さな池沼が散在し、曲がりくねった水路では農耕運搬に田舟が多く使われていたのである。小字名にも奥沼、中沼、宮池、柳原など低湿地帯を示す地名が残っている。20161121torii

拝殿には白鬚神社と記された古びた額が掲げられている。20161121haiden

社殿である。写真左の小さな祠は「田貝さん」と呼び習わしている。田貝さんとは田螺《タニシ》のことである。輪中水郷地帯であり度々の水害に悩まされてきたことから、田螺を田の神あるいは水害除けの神として祀ったのであろうか。以前は九月の台風襲来時期に合わせて田貝さん祭りも行っていたが、近年は十月の本祭りに合わせてお祭りしている。《そのように思っていたのだが、ネットで検索してみると田貝とは二枚貝の一種のようである。田螺とは違うようだが謂れを確かめる古老も周囲には今やいない。》
社殿に納められているであろうご神体が何か、見たことも聞いたこともない。祭事の折りには祭典係で開帳するから、何が納められているのか次の機会には目を凝らしてみよう。20111121syaden

《いつもの蛇足》
白鬚神社の来歴を調べているあいだに、天津神と国津神・産土神が気になって詳しく知りたくなった。天孫降臨系の天津神の代表が伊勢神宮であり、国津神の代表が出雲大社であろうと思われるがさだかではない。千夜千冊の歴象編を拾い読みしていたら、日本と云う国の成り立ち、まつろわぬ者たちの系譜などなど思わず読みふけってしまった。神社の歴史から蝦夷や熊襲のこと、正史から消し去られた物部氏のことなど秋の夜長に読んでみたいと考えている。

 

関連の記事

カテゴリー: 只管打座の日々, 茫猿残日録 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です