白秋73旅-5・バタ電

白秋73旅は二日目、出雲から益田経由、新山口までである。この旅の隠れた目的である病臥の畏友を見舞うのである。

この日も早朝に宿を出て、一畑電鉄・出雲市駅に向かう。予定では06:34発の松江方面行き始発電車に乗り、適当な駅から折り返してくるつもりだった。ところが駅構内に入った頃、フォームの発車ベルが聞こえてくる。

あれっと思いながら、改札口に向かうと06:13発の始発が発車しましたと駅員がいう。この日は2016/12/11《日》なので、ダイヤは土日祝日ダイヤですと言われる。次発は07:08まで約一時間待ちである。JR時刻表を改めて確認すると「月ー金曜時刻」と注書きが付されている。茫猿の眼が見落とすのもやむを得ない細かい字である。

JR出雲から08:06発快速アクアライナー益田行きに乗車しなければならないから、一畑電鉄乗車は出雲《07:08》ー川跡《07:16》折り返しに急遽変更する。川跡からは07:18ー電鉄出雲07:27折り返しという往復十六分間の体験乗車である。20161211ichibata-izumo

乗車した一畑電鉄は出雲大社にちなむ「ご縁電車・しまねっこ号」である。20161211goendensya

休日ダイヤを知らなかったから乗車できたご縁電車である。ご縁の由来はラッピングだけでなく、車内の床にアミダクジが用意されているのである。せっかくのアミダクジだけど、茫猿の向い側シートは無人なのである。女子高校生が何人か坐っていて、アミダクジを目線で追いかけでもすれば、白い眼で睨まれるだけであろうけれど。20161211amida

一畑電鉄川跡駅から折り返し、JR出雲市駅から乗車した山陰線快速アクアライナーの車窓から眺める景色は快適だった。右手に青い日本海、左手に赤い石州瓦葺きの住家が見え隠れする景色は、野暮な看板なども少なくて《朝食抜きを除けば》楽しい時間だった。朝食については早立ちだから朝抜きであり、駅構内のコンビニでコンビニ弁当を買う気もしなかったせいなのである。《写真は浜田付近》20161211nihonkai

益田駅には10:44到着、11:26発の山口線普通列車を乗り継ぎ、新山口駅には13:56到着である。新山口駅では見事な南北自由通路・緑化壁と種田山頭火像が迎えてくれた。20161211ryokka

種田山頭火については松岡正剛千夜千冊が詳しいから、ここには何も記さない。新山口駅前の山頭火像には「まったく雲がない笠をぬぎ」という句が記されていた。20161211santouka

《さて、病臥する畏友の見舞いである》
26歳のとき、不動産鑑定士三次試験第七期実務演習があった。そこで彼に出会ったのである。彼は二歳年長の28歳だった。ともに給料の安い鑑定事務所見習い生だったから、珈琲一杯で何時間も語り合ったり、神田の古本屋街を渉猟したりしていた。

今にして思えば、彼の舌を巻く博識と読書量そして悠揚迫らざる風格は私に大きな影響を与え、彼との長い交流は私に不動産鑑定士として生きる心構えを育んでくれたと思っている。その彼が病床に伏して二年近くになる。

奥様からの賀状添え書きなどでは、寝たきりで会話も無いとのことである。一度は見舞いたいと思ってはいたが、長い病臥であるから迷惑に思われるかもしれない。それでもお会いしたいと手紙を差し上げたところ、奥様からは快諾のお返事をいただいた。

病床の彼は、それほどやつれた様子もなく、療養のために五分刈りにそろえた髪のせいもあってか力強くも見えた。「ギフのモリシマです。わかりますか?」と、彼の手を握りながら話せば、力強く握り返してもくれる。何やかやと話しかけながら、一時間近く病室にいるあいだも、眠ることなく枕から頭を上げて私を見つめていてくれた。

いっときに較べれば随分と回復してきましたと、奥様は言われる。身内が顔を出しても眠っていますが、遠方から珍しい見舞客が来れば明らかに反応が違うとも言われる。願わくば車椅子で外出できるようになり、来春暖かくなった頃に「実務修習生同期会:REA7」の開催を企画するから、養生に精を出して下さいと伝えて、病室を辞すのである。

《そして街呑み》
旅二日目にして街呑み、新山口駅は2003年までは旧小郡駅である。こんなに変わった駅と駅周辺を茫猿は知らない。山陽本線、SL山口号の山口線、宇部線そして山陽新幹線の結節駅であるとはいえ、目を見張る変貌である。

先ずは、グラスで獺祭をいただく。病臥の畏友が一日も早く快復することを念じてグラスを揚げる。肴はノドグロ昆布〆、長州鶏唐揚げ、岩国蓮根天婦羅。20161211dassai

グラスマットの印刷は、魚を得て筌《ウケ又はウエ》を忘る、水を得た魚、木に登りて魚を求むである。筌を現実に知っているなんて、茫猿も齢だ。子どもの頃は自宅前の小川で筌を沈めて鰻を獲っていた。太ミミズを餌にすればウナギ、煎りコヌカならモロコだった。

《旅、第一日》
白秋73旅-4・姫路玉子焼  

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