2016年暮れる

2016年も暮れてゆく、そこで暮れ行く歳に別れを告げつつ、いつもの由無しごとを書き連ねるのである。先ずは最近の過去記事を振り返ってみる。様々なことあり、様々なこと思う年の暮れである。

2015年暮れる (2015/12/26) 戦後七十年的感想を記す。
2014年暮れ (2014/12/29) 孫を引合いにして年末感想。
暮れゆく2013年 (2013/12/29 ) 世相を眺めて年末感想

2010年、2011年、2012年には類似の記事はない。2010年は父母が亡くなった年であるし、2011年は東日本大震災の年である。年末感想に耽る気持ちの余裕は無いのであろう。その年末感想も年毎に変化している。2009年はジオラマに淫しているし、2008年はバリ島余波に埋まり、「朱色暮色 : 2013年12月26日付けの天皇陛下の誕生日感想」は今年の退位お言葉につながる。

さて、今年をどう振り返るか。米国大統領選挙、韓国大統領スキャンダル、今年を象徴するかのようなIR法案ドタバタ議決はカジノと云う博打場で地域振興を図ろうとする発想の貧しさなのである。

2016年はグローバル化とローカル化が際立った歳のように思える。グローバル化の進展は金融資本主義の肥大化・バーチャル化と貧困格差の拡大を産むだけだったように思える。アンチテーゼとしてのローカル化は様々にうたわれたものの、決定的な処方箋はまだ見えていない。好ましいローカル化を導いてゆくのも結局のところ人なのであり、人づくり人育てこそが総てなのかもしれない。ところが、2016年出生数は100万人を下回り死亡者数は130万人を超えたと云う。

グローバル化が自由競争至上主義や経済合理主義最優先などの一つの価値観に染め上げられてはならなのであり、ローカル化が閉鎖的なブロック化に陥ってもならないのである。その意味で自由競争=弱肉強食であてはならず、地域保護=地域エゴに陥ってもならないのであるが、グローバルとローカルのバランス調整が難しい時代なのだと思わされる。企業経営だけでなく、文明的《物質的》にも文化的《精神的》にもグローカル化が問われているのであろう。グローバル《普遍的》な視点を持ちながらローカル《個人的》に立脚するを目指せと云えるのであろうか。

哀しいできごとは原発避難イジメである。学校での出来事は学校単独で起きるものではない、大人社会の嫌らしさを反映するものであり、学校や教育委員会にたずさわる人たちの感度の鈍さと日本社会の劣化を物語っている。学校教師が忙し過ぎると伝えている、電通並のブラックさだとも伝えている。少子化が進むなかで教師定員が変わらなければ、教師の仕事にも余裕が産まれるはずなのに、現実は管理業務や書類作成などに追われる日々だという。何かが間違っているのであろう。

平野啓一郎は警告する。    『そもそも、安倍政権の態度は小選挙区的ですよね。1票でも勝てば、何をやっても許される。相手がどれだけ票を取ろうがお構いなし。悔しかったら選挙で勝ってみろ。そんな態度じゃないですか。もちろん、民主主義ですから、選挙で多数派の布陣を握った方が有利に議論は進められる。しかし、その前提として少数派の意見に真摯に耳を傾けなければならない。それなのに多数決で勝てば、全権委任を得たように誤解しているとしか思えません。』

内田樹も言う。 平成天皇が誕生日に述べられたお言葉について語り、『今回の「おことば」では、オリンピック・パラリンピックとノーベル賞のほかは、すべて死んだ人、傷ついた人の悲しみ・痛みに言及したものでした。この「共苦(compassion)」という営みが現代の天皇の引き受けるべき霊的な責務、「象徴的行為」の実体であるということを一歩踏み込んで明らかにしたという点に今回の「おことば」に歴史的意義はあるのだろうと思います。』

選挙における勝敗や得票率を市場におけるシェア獲得と同一視する考え方の危険さに人々は想いを致さないのだろうか。 マスコミが勝敗にのみ焦点をあてて選挙を報じることの愚かさをなぜ誰も指摘しないのだろうか。

昨日は孫たちの帰省に合わせて餅搗きをした。正確には記憶していないが、我が家で餅搗きを最後にしたのは60年も前のことだから、上手く捗るか心配だったけれど、モチ米を洗うのも蒸かすのも餅搗きも上手くいった。鏡餅も伸し餅もそれなりに出来上がった。そして餡餅も黄な粉餅も美味しかった。何より孫たちがハシャイデくれたのが一番だった。息子たちに杵をまかせて茫猿は手返しを担当してみたのだが、腰の決まらない息子たちの杵は相打ちをするやら臼をつくやら、まだまだ親父の杵振りのほうがマシだった。《画像は孫たちの肖像権の関係で、アンテイーク模様で》
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この投函は「鄙からの発信」2,864号記事である。2016年は合計149件の記事を掲載した。2017年中に3,000件の大台到達が差しあたっての丁酉年目標である。倦むことなく由無しごとを書き綴り、旬はとうに過ぎたとは云いながら「鄙からの発信」茫猿の生きる証しを発信してゆくのである。

そして暮れにあらためて思う。簡素だけれど鄙びた優しさに満ちるこの屋敷で、孫たちを迎え歳を越せるのは、父と母の七十年の営為の積み重ねあってのことだと感謝する。礼のことばを父と母に伝える術《すべ》はもうないけれど、せめて父と母の営みを受け継いでゆくことが今の私にできることであり課せられたことなのだと思っている。

蠟梅が咲き始めた。昨年よりも十日近くも遅いが、つぼみの数はずいぶんと多い。今朝は養老山脈を白くした寒風が吹いているから、本格的な開花は正月過ぎになりそうだ。もう一枚は鄙里陋屋の門松である。お見苦しいが、総て屋敷内から調達した品で作っている。松、竹、梅、斑入りの熊笹、千両、南天、葉牡丹である。

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この習作をもとにして、これから氏神様の門松制作や注連縄飾りそして境内の清掃や初詣の出迎え準備などに向かう。年末年始の祭典係はなにかと仕事が多いのである。

 

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