爺婆同窓会から高野病院を考える

先日、高校の同級生が集まる新年会があった。法要や家族での外食を除けば今年始めての外呑み機会だったが、家人のご機嫌が悪くて送迎は期待できず、ハンドルを握って参加したからノンアルコール宴会だった。《往復タクシー利用では参加費をはるかに上回ってしまう鄙暮らしなのである。》 素面だったから幾つかの会話を記憶しているのである。

誰かが宣はく「同級生は好いな、こうして集まれば半世紀前の青春時代に戻れる。」 誰かが返して曰く「そう思っているのは俺たちだけで、端から見ればお爺とお婆の怪し気な集まりさ。」

誰かが宣はく「孫の話をしていたのはしばらく前のこと、ぼちぼち曾孫の話が出るようになった。」 誰かが返して曰く「孫や曾孫の話に興じる奴は倖せさ、連れ合いを介護してるのはマシなほう、一世紀を生きてきた親と暮らす老老々暮らしもある。」

誰かが宣はく「年末に娘を看取った。辛かったし、とても疲れた。」 誰もが無言、かける声も無い「よくやったご苦労さん。齢若を見送るのは辛いな。」

誰かが宣はく「食わなくなったな、呑む量も減った。呑みたくもなくなった。」 誰かが返して曰く「夜に集まるのも辛くなった。次回は皆が集まり易い昼席にしようよ。」 賛成の声多く、次回は気の利いた弁当を食べる機会にすることになった。

何はともあれ、「まだ死んでいなくて健康で、家族に患いがなくて、懐に多少の余裕もあれば、このような集まりに顔を出し埒もない会話に時を過ごすこともできる。次回まで達者でな。」と云うのが散会の挨拶だった。

《さて話かわって》

福島県広野町に高野病院という118床の個人病院がある。3.11被災後も避難すること無く、広野町にとどまり診療を継続している病院である。この病院を支えていたただ一人の常勤医である高野英男氏が暮れも押し詰まった2016/12/30に81歳でお亡くなりになった。

既に81歳という年齢であった高野氏が、火災でお亡くなりになった。発災以来五年余の疲労の蓄積もあっただろうし、年末の多忙もあったことだろう。疲れから深い眠りにあって、火災の発生に気づけなかったのであろう。とても痛ましいことである。

暮れの新聞記事は記憶しているが深くは気に留めていなかった。昨日深夜のNHK再放送で「ETV特集アンコール:原発に一番近い病院・ある老医師の2000日」という番組を見た。老いた身体で気力を振るい診療に向かう高野医師の姿を見ていて、目頭が篤くなった。見終わってから、ネットで幾つかの記事を検索した。

高野病院を助けて下さい】(2017/01/02)
私が高野病院を応援する理由】(2017/01/09)
高野病院事務長・高野己保さんのブログ転載一覧
診療継続を条件に県に無償提供を申出るも・・・・】(2017/01/20)

広野町、福島県、厚生労働省、東京電力、そして高野病院、それぞれの立場からそれぞれの言い分があるのだろう。乏しい情報のなかでその一つ一つに論評することはできない。それでもこれだけは云える。福島原発被災地域にあって、地域医療を守るために移転せず休業も廃業もせずに、奮闘を続けているこの病院一つ救済支援できない日本という国は、いったい何なのであろうかと思わされる。

問題点を突き詰めれば、個々の民間病院を支援することは公平の原則に反するというところにあるようだ。しかしながら福島原発被災地域で地域医療を継続しているという事実は公的医療機関に優るとも劣らない公益性を発揮しているものである。福島県広野町における唯一の医療機関なのであれば公平云々の論議以前の問題であろうと思われる。

奨学金の利子補給すらできない日本、パチンコやスロットの弊害を放置してカジノを作る日本、保育園待機児童すら無くせない日本、皆同じように木を見て森を見ていない日本ではなかろうか。

 

関連の記事

カテゴリー: 茫猿残日録 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です