花の前

標題にいう花は桜である。「鄙からの発信」が我が茅屋の山桜を”鄙桜”と名付けて記事に登場させるようになって、此の春は八度目である。それ以前にも茅屋の桜を記事にすることはあったが、朝早く家を出て夜遅く帰る日々であり、日曜もろくに家に居なかったから、桜に目を留めることは少なかった。桜も今よりは若木だったことも影響していただろう。茅屋の山桜とか茫猿桜とか鄙の山桜などといっていた呼称を”鄙桜”と呼ぶようになったのは2010/03のことである。

「鄙櫻2010」と題した2010/03/29《2010/06/21最終更新》記事はこのように書き出している。「此の春は諸般の事情で遠出は控えめにしている。考えていた桜巡りは取りやめ、今年の桜は鄙桜に限り、その分濃密に観てゆこうと思っている。毎朝々々、同じ桜を飽きず眺めるなんてことは、かつてなかったこと。 これも得難い機会なのであろうと考えている。」 翌々03/31に鄙桜は数輪開花している。

諸般の事情とは母親の介護のことである。茫猿は、既に個人事務所に転換し業容縮小していた岐阜市内の事務所を前月に引き払い、鄙里の自宅に事務所を移転していた。母親の介護に専念するためであり、鑑定事務所は事実上閉鎖状態にあった。朝昼晩に飽きることなく桜を眺めていた。通院帰りに車椅子の母とふたり桜を見上げたこと、ライトアップした鄙桜を窓越しに老父母と眺めたことなどなどをまざまざと思い出す。

(2010.06.21 追記)
鄙桜を桜蕾から追いかけた三寒四温の日々は、同時に母の介護の日々でもありました。 今、母は亡く桜はその実も熟し切っています。数日前までは桜の実をついばみに小鳥たちが何羽も訪れていましたが、その実も既に落ちてしまい鳥もやってきません。

こんな風に一本の桜を追いかけたのは初めてのことですが、今となっては何やら遠い日のことのようにも思います。 「年々歳々花あい似たり、歳々年々人同じからず」と呟きながら桜を眺めていた日々のように思い返しますが、「きれいに咲いたね」と車イスの上で呟いていた母はもういません。

(2011.02.04 追記) この頃に、毎朝車イスで点滴に通う母が、イスのうえから桜を眺めて「きれいに咲いたね。」と呟いたのを思い出す。 来春には見ることも叶わないだろうにと思いながら、車イスの母とふたり、しばし眺めていたことを思い出す。 あの時、末期ガンを承知していた母の心中はいかばかりだったろうかと思い出す。

鄙桜の2010年以前の開花日はさだかではない。桜関連の記事が少ないことから、開花頃の記事はなく満開時季や葉桜時季の記事が少し残るだけである。2010年以後、いささか正確さを欠く年もあるが、鄙桜は2011年は04/04、2012年は04/06、2013年は 03/29、2014年は04/02、2015年は03/30、2016は04/01を《初出》開花日と記録している。我が鄙桜が開花するまで、あと数日を残すばかりである。

桜はまだだが《寒緋桜のみ咲き終えた》、アンズは花盛りである。実成りはイマイチどころかイマサンのアンズだけれど、花はそれなりに見応えがある。

切り花にして玄関先の壷に投げ入れておいた。

八重の絞り系椿、今年は挿し木を試してみるか。

椿の花は雨風に打たれると痛み易いし、鳥が蜜を吸いにきても花は傷が増える。屋外で撮るのは結構難しいものである。左は絞り八重咲き、右は赤の薮椿
      
左は白の藪椿、右は白の八重椿、これだけを撮るのにさえ脚立を抱えてウロウロするのである。
 

 

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