記憶の澱

今年も三分の二が過ぎ、九月も既に三日である。八月末頃から朝夕は涼しく、日中は三十度を超えても空気は乾燥しており、吹き抜ける風も心地好い。昨日はこの秋初めて秋刀魚を焼き、里芋を収穫した。秋刀魚は小ぶりで脂ののりも低いが、酢橘を絞りかければ初物なりに旨かった。里芋はいささか早かったようで、子芋の成育は半月ほど先のことのようである。半月待てば芋煮に頃合いとなるだろう。

例の如く、屋外のU字溝炉で炭火焼きするが、脂ののりが悪いから火煙りも立たない。

体調が優れなかったから管理が行き届かず、雑草が占領した畑の草刈をしながらふと考えた。汗を拭きつつ晴れ渡った秋空を眺めていて、この頃は父母のことも友のことも考えること少なくなっている自分に気がつく。亡き者日々に疎しとは、こういうことなのだと改めて気づかされている。

一昨年中村君が亡くなってしばらくした頃に「こうやって一つ一つ身近な大切な人との別れに、慣らされてゆくのだろうか。その涯に澱や淀みを積み増して、少しくらいのざわめきでは揺れない心の澱《おり》を重ねてゆくというのであろう」と記したことが、改めて実感を伴って感じさせられる。心の澱の底に近しい縁者の記憶も沈ませてゆくのであろうし、それがまだ生きていると云うことでもあろう。いつまでも死者の記憶を引きづっていては生きる甲斐もなかろうし、生きる障りにもなることであろう。

三月に中村の墓参をしたおりに、次は命日の頃に皆で集まろうと声をかけられたけれど、音沙汰もなくもうすぐ秋の彼岸も間近である。日々生きているものは忙しく、亡きものばかりを思って暮らすわけにもゆかないということであろう。それも、”心の澱の底に近しい縁者の記憶を沈ませてゆく”ということなのであろう。

「鄙からの発信」記事数三千が見えてきたというに、6月7月の月間更新記事数は2件、8月に至ってはわずかに1件であった。帯状疱疹の後遺症は完治にはまだ日数を要するようであるが、最悪時に比べれば随分と楽になった。突然のダウンに悩まされていたMacMiniは8月半ばにメモリーを増強して更新し、快調になった。夜長の到来とともに更新記事数も増えてゆくことであろうと考えている。とりあえずは、秋冬にかけて土佐の市電を訪ねる旅を考えることとする。

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