2017年秋・民進党哀歌

虚実取り混ぜた情報が溢れており目を離せないが、何も見えてこないし聞こえてこない、予測も予断も許されない、昨今の解散総選挙政局である。実は九月中旬から、北朝鮮の相次ぐミサイル発射や核実験を受けて「地政学朝鮮半島」と題する記事原稿を用意していた。

しかし、その後に日本の政治情勢は急展開し、解散総選挙と民進党自壊または自爆という状況になっている。この政治情勢とも云えない解散政局は、10月10日の公示日を迎えるまでは明らかなものが何一つ見えてこないであろう。そうであるにしても、この時点で茫猿が床屋政談を語っておくのも一興であろう。「地政学朝鮮半島」と題する記事は本稿末尾に掲載します。

希望の党について茫猿は何も語らない。語るほどの感慨も意見もないのである。強いて云うならば、小池百合子氏が都知事選挙出馬テーマとした「豊洲移転、2020五輪コンパクト化、待機児童ゼロ」のいずれも五里霧中のままに、都政を放り出しかねない状況は”何をか言わんや”ということである。

さて民進党である。民主党から民進党へと改名した前後の経緯も不審であり腑に落ちるものではなかった。蓮舫代表辞任から前原代表選出に至る経緯も不審であり腑に落ちるものではなかった。何よりも前原代表の登場そのものが不安こそあれ納得できるものではなかった。

一強多弱政治を招いた責任の多くは、自民党の劣化と民進党の低迷に求められる。なかでも民進党の低迷いや”テイタラク”こそが、自民党の緊張感の無い劣化を引き起こした元凶と云えるものであろう。死に児の齢を数えるようであるが、民進党はその所属議員の多様性《まとまりの無さとも云える》は多様性として是とし、政権当時の”いたらなさ”に正面から向き合い、新しいリーダーを発掘し育て上げる努力を怠ったことが惜しまれる。そして当面する政治課題の優先順位を明らかにし、安倍政権と対峙すべきであった。

しかしながら、選出された前原代表は自党議員に離党届を出させ、《民進党除籍議員が中核を構成する》希望の党に公認申請を行わせるという”策とも云えない策”を提案し、両院議員総会で了承を得た。この所属議員総会で反対意見を表明し両院議員総会の場を混乱させなかった民進党左派《リベラル派》の対応は、解散後の政局で民進党が自壊しかねない修羅場を避けようとした大人の対応だったと評価することもできよう。

希望の党の排除の論理を知っていてか、それとも知らずしてか、自党議員に”韓信の股くぐり”を求めた前原代表には、代表としての矜持も指導性も認めることはできない。前原氏は”名を捨てて実を取る”どころか、名も実も放り投げてしまったと云えるのであろう。強いていうならば、前原氏は”名を捨てて実を取る”という起死回生策に酔っていたと云えよう。

希望の党が排除するとされる民進党13名のリストがネットで噂されている。13名とは、野田佳彦/菅直人/手塚仁雄/辻元清美/赤松広隆/近藤昭一/長妻昭/枝野幸男/岡田克也/阿部知子/安住淳/海江田万里/櫛渕万里である。さて、彼等はどうする。無所属で立候補するか、引退するか、それとも新党を結成するのか。10月10日までの余裕はない。明日、明後日のうちが勝負である。けれども13名の中に新たに国民の輿望を担えそうな名前は認められない。

排除される13名が衆望を担えるリーダーを得て、市民連合あるいは市民戦線を結成できるか否かに全てがかかっているように思われる。勝ち負けは二の次であるというよりも、行動の清新さや潔さが問われているのであろう。「鄙からの発信」が何度も引用している福井達雨先生の「負け戦にかける」矜持が求められているのであり、久野収先生の言われた「どんな敗北の中からも民主主義完成の契機がある」という矜持が求められていると考えるのである。

福井達雨先生は「負け戦にかける」と題して、こう言われます。
『勝つこと、強くなることばかりを追い求めることは、負けた側弱い側を切り捨てることになります。 勝者がいれば敗者もいるのであり、一位がいるということは二位も三位もいるのです。 勝者が敗者について、強いことも弱いことも素敵なのだと、相手を思いやる優しい心を持つことが大切なのです。』

久野収先生は「負け続けることに意味がある」として、こう言われます。
『来る日来る日を今日限りとして生き尽くせ。 神は細部に宿る。 少しでも理想に向かうことが我々の勝利であり、どんな敗北の中からも民主主義完成の契機がある。 どんなに敗北を重ねても負けない自分がここにいる。それが人間の勝利であり、それ以外の勝利を考えるようになると組織や運動はもちろん、人間の堕落が始まる。』

《2017/10/02 追記》午後五時から枝野幸男氏が記者会見を行い、民進党リベラル派を率いて「立憲民主党」の結成を表明した。排除の論理は否定した。立憲主義、民主主義、国民生活を守ることなどを表明した。事実上、民進党は立憲民主党結成派《枝野派》と希望の党合流派《前原派》に分裂することとなった。

「地政学朝鮮半島」(2017/09/20初稿)
目を離せないが何も見えてこないし聞こえてこない、予測も予断も許されない、昨今の北朝鮮情勢である。三十八度線の南側に対峙する韓国・南朝鮮にしても、北朝鮮との対話重視を掲げて登場した文在寅大統領は、北朝鮮の相継ぐミサイル発射や核実験強行により対話が可能な状況にあらず、THAAD配備を巡る中国との軋轢などもあって、今後の展開は霧の中である。こんな昨今の朝鮮半島情勢を巡って興味ふかい指摘がある。

最近の朝鮮半島情勢は日清《1894/7〜1895/3》・日露戦争《1904/2〜1905/9》当時の北東アジア情勢と近似するという論調がある。日清戦争直前の北東アジアはどんな状況であったかと云えば、日本は明治維新後二十数年であり、アジアの大国清はアヘン戦争後五十年を経過している。北方の大国ロシアはロシア革命《1917年》でロマノフ王朝が崩壊するまで二十数年である。

中国とロシアが朝鮮半島についての思惑、日米の戦略的立場の相違あるいは齟齬が垣間見えるのである。

昨今の朝鮮半島を巡る騒動(?)は半島国家と隣接する大陸側強国という地政学的歴史を否応無く考えさせる。唐・倭(白村江の戦)と三国時代の半島、元・大和(鎌倉幕府)と高麗、明・日本(秀吉)と朝鮮、そして清(冊封)・ロシア(南下)・明治日本と李氏朝鮮という変遷です。今は共産中国&南下ロシア&太平洋国家米国&日本&南北分断朝鮮半島です。

歴史の諸様相は一様ではないし、stereotype的な括り方もよろしくない。それでも半島国家の地政学的位置というものを考えさせる。日清・日露戦争に始まり、朝鮮併合、太平洋戦争、朝鮮戦争と続く百数十年間の歴史を経た結果の金王朝北朝鮮と南朝鮮韓国の現在が存在している。そしてその北東アジアの現状について、日本は当然のことながら無関係では無い。無関係では無いと云うよりも、相応の責任ある存在であるし責任を負わねばならない存在である。

北東アジアの危機的混迷を考えるときに、自衛隊の存在意義を意識せざるを得ない。この自衛隊について、防衛大1期生が明かす「吉田茂が語った自衛隊論」なるものを引用して本稿を閉じます。

「君たちは自衛官在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることもなく自衛隊を終えるかもしれない。ご苦労なことだと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎され、ちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の危機の時か、災害派遣の時とか、国民が困窮している時だけなのだ。

言葉を変えれば、君たちが日蔭者である時の方が、国民や日本は幸せなのだ。一生御苦労なことだと思うが、国家のために忍び耐えてもらいたい。頑張ってくれ。君たちの双肩にかかっているんだ。しっかり頼むよ」

 

 

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